マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

戦争は必ずしも政治的な理由だけで起こるわけではない

 紀元前5世紀ギリシャの歴史家トゥキュディデスの言葉、

 ――戦争は、利益、恐怖、名誉のいずれかが原因で起こる。

 について――

 きのうの『道草日記』で触れました。

 

 とても示唆に富む言葉であると思っています。

 

 が――

 この言葉を――

 僕は次のように読みかえているのです。

 

 ――戦争は、煩悩、不安、憤怒のいずれかが原因で起こる。

 

 ……

 

 ……

 

 まずは、

 ――煩悩

 について述べましょう。

 

 ――煩悩

 というのは、

 ――この利益が欲しい!

 とか、

 ――あの損害は困る……。

 とかいった思いのことです。

 

 よって、

 ――政治

 という営みを、

 ――社会における利益の分配や損害の分散

 とみなすならば、

 ――煩悩

 は、きわめて政治的な思いといえます。

 

 戦争は政治の一部ですから、

 ――煩悩

 が戦争の原因となるのは自然なことです。

 

 次に、

 ――不安

 について述べましょう。

 

 これは、

 ――漠然とした恐怖

 のことです。

 

 ――対象が不明確な恐怖

 といっても、よいでしょう。

 

 不明確な対象が明確となるときに、

 ――不安

 は、

 ――恐怖

 へと変わります。

 

 例えば――

 何となく、苦しくて苛立ってソワソワしているときに――

 何か具体的な情報に触れるなどして、

 ――奴らに攻め込まれる!

 とか、

 ――自分たちは殺される!

 とかいった危険予知が具体化をするときに――

 ――不安

 は、

 ――恐怖

 へと変わります。

 

 ところが、

 ――不安

 も、

 ――恐怖

 も、純粋に人の心の働き――情動――ですから――

 これらの思いは、実は、それほど政治的ではありません。

 

 政治的ではないのに、戦争を起こしてしまう――

 人の心の働きとしては、実に厄介です。

 

 次に、

 ――憤怒

 について述べましょう。

 

 この思いは――

 そんなに難しくはありません。

 

 基本的には、

 ――自分たちの名誉を傷つけられた!

 との思いです。

 

 が――

 少なくとも今日では――

 それ以外の憤怒もあります。

 

 例えば、

 ――人権が踏みにじられている!

 とか、

 ――女性や子供、お年寄りが殺されている!

 とかいった思いです。

 

 あるいは、

 ――我らの神が冒涜をされている!

 とか、

 ――異教徒たちが好き勝手にやっている!

 とかいった思いも当てはまるでしょう。

 

 ――憤怒

 も、それほど政治的とはいえません。

 むしろ、思想的――原理思想的――といってよいでしょう。

 

 ……

 

 ……

 

 このように考えていくと、

 ――戦争は、利益、恐怖、名誉のいずれかが原因で起こる。

 というトゥキュディデスの言葉は、

 ――戦争は必ずしも政治的な理由だけで起こるわけではない。

 ということを示している――

 ともいえそうです。