マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

“ニコポン”の効能

 ――ニコポンの名手

 として――

 その語源となった桂太郎以外にも――

 豊臣秀吉がいたことについて――

 きのうの『道草日記』で述べました。

 

 ――ニコポン

 の効能は、ほぼ1つといってよいでしょう。

 

 ――恐怖の軽減

 です。

 

 とくに、恐怖の対象である当の相手から、“ニコポン”をやられると――

 恐怖が軽減をするばかりか――

 その相手に対する警戒が一気に弱まります。

 

 むしろ、好感を抱いたりする――

 

 ……

 

 ……

 

 おとといの『道草日記』で、僕は――

 豊臣秀吉は、織田信長にはまとめるのが難しかったであろう大兵団をまとめあげ、朝鮮半島に送っている――

 ということを述べました。

 

 送られる大兵団のほうからすれば、とんでもない恐怖です。

 言葉も通じない異国の地で何が待っているのか――

 

 ただでさえ不安を感じやすい日本人の将兵たちなのです。

 気も狂わんばかりの不安に苛まれたことでしょう。

 

 その恐怖や不安を和らげたのが――

 豊臣秀吉の“ニコポン”であったはずです。

 

 もちろん――

 豊臣秀吉から直に“ニコポン”を施されたのは、大名クラスの者たちだけでしょう。

 

 が――

 大名クラスの将たちの恐怖や不安が和らいだことで――

 それら将たちの率いる兵たちの恐怖や不安も和らいだことは、容易に想像できます。

 

 日本列島から朝鮮半島へ大兵団を送るには――

 卓越をした“ニコポン”の技術が必要であったのです。

 

 ……

 

 ……

 

 思えば――

 

 ――ニコポン

 の語源になった桂太郎も――

 日本列島から朝鮮半島へ大兵団を送りえた人物でした。

 

 日露戦争当時――

 日本の総理大臣を務めていたのは桂太郎です。

 

 桂太郎の率いた内閣は、朝鮮半島の権益を巡って、朝鮮半島でロシアと凄惨な戦いを繰り広げました。

 

 もちろん――

 豊臣秀吉の時代と単純に比較をすることはできません。

 

 握っていた裁量も異なります。

 

 が――

 桂太郎の人となりに、豊臣秀吉の喜気の強さや若干の怯みやすさをみてとることは、そんなに難しいことではないように――

 僕には思えます。