マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

豊臣秀吉と徳川家康との共通点・相違点

 ――豊臣秀吉は喜気が強く、徳川家康は喜気が強くなかったので、“ニコポン”か“ボヤポン”かの違いが生じた。

 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。

 

 では――

 二人に共通点はなかったかというと――

 

 そんなことはなくて――

 

 ……

 

 ……

 

 共通点は、

 ――どちらも“ポンポン”の効能をよくわかっていた。

 ということです。

 

 ――“ポンポン”の効能

 というのは、

 ――相手の恐怖や不安を和らげる。

 です。

 

 “ポンポン”の効能の認識は――

 日本人の指導者には必須の条件といえます。

 

 この条件を満たさない指導者は――

 日本列島の人々の不安を上手に制することができずに――

 いずれ、取り除かれてしまいます。

 

 その典型が――

 織田信長です。

 

 10月15日の『道草日記』で、

 ――織田信長は日本人らしくなかった。

 と述べました。

 その内実は、

 ――織田信長は不安を感じにくかったために、日本列島では多数派である不安を感じやすい人々の共感を得がたかった。

 ということです。

 

 一方――

 豊臣秀吉徳川家康は、とくに不安を感じにくいということはなかった、と――

 考えられます。

 

 (むしろ、不安を感じやすかったのではないか)

 と、僕は想像をします。

 

 この点で――

 二人は、実に日本人らしかったといえそうです。

 

 一般に――

 日本の戦国期を終わらせたのは、織田信長豊臣秀吉徳川家康の三人の協働であると考えられていますが――

 日本の戦国期を本気で終わらせようとしたのは、おそらく、織田信長ただ一人です。

 

 残りの二人は、織田信長が戦国期を実際に終わらせかけ、途中で横死に至ったのを目の当たりにしたので、その後を継ごうと思ったにすぎず――

 織田信長のやり残しがなければ、本気で戦国期を終わらせようとはしなかったでしょう。

 

 ――乱世を自分の力で終わらせるなど、できるわけがない。

 とか、

 ――乱世はしばらく続いてきたのだ。今後も続くのはやむを得ない。

 とかいって、最初から諦めていたに違いない――

 そのように考えるのが、不安を感じやすい日本人は普通なのです。

 

 が――

 織田信長は、少し違っていた――

 

 ……

 

 ……

 

 日本の戦国期は――

 まずは、まったく日本人らしくなかった織田信長によって終息が試みられ――

 次いで、わりと日本人らしかった豊臣秀吉によって引き継がれ――

 やがて、かなり日本人らしかった徳川家康によって達成をされた――

 

 そんなふうにいえると思います。