――民主主義の隣にファシズムがある。
との警句について――
きのうの『道草日記』で述べました。
――ファシズム
というのは――
ラテン語で「束」を意味する「fascis(ファスキス)」の複数形「fasces(ファスケース)」が語源になっているといわれています。
このことから、
――ファシズム
というカタカナ表記は、
――結束主義
と漢字表記に置き換えられることもあります。
――ファシズム
を、
――結束主義
といいかえると、いま一つ実感がわかなくなりますが――
ここでは、語義的なわかりやすさを重くみて、あえて、
――結束主義
と記します。
つまり、
――民主主義の隣にファシズムがある。
との警句は、
――民主主義の隣に結束主義がある。
という意味であり――
ひいては、
――民主主義と結束主義とは紙一重である。
と同義です。
ここでいう「民主主義」とは――
きのうの『道草日記』で述べたように、
――国家の主権が民衆にあることを認め、民衆の代表が集まる議会などで合議の手続きをとっていく政治の体制――政体――
を意味しています。
一方――
ここでいう「結束主義」については、実は様々な見解があり、簡単に述べることはできないのですが――
鍵となる概念が「独裁」や「煽動」であることに着目をして、ひとまず、
――国家の主権が特定の個人や集団にあることを認め、そうした個人や集団に民衆が盲目的に従うように仕向ける政治の体制――政体――
としましょう。
これらの語義を踏まえ――
なぜ、
――民主主義と結束主義とは紙一重である。
といえるのかを考えていきますと――
結論に至るのは――
それほど難しくありません。
――民主主義において、合議の手続きがとられる際に、特定の個人や集団によって統率をされた多数派が、異論のある少数派を脅し、強引に従わせると、民主主義は結束主義に変質をする。
という結論です。
こう述べると、
――民主主義の原則の一つに多数決があること
を示し、
――それでは「民主主義」と「結束主義」とは同義になる。
と反駁をする向きもあろうかと思います。
たしかに、多数決は民主主義の原則です。
よって――
もちろん多数決が結束主義をもたらすのではありません。
その多数決の際に、多数派が特定の個人や集団に盲従をしていて、かつ、その多数派が少数派に恫喝をするときに――
結束主義がもたらされるのです。
つまり――
多数派が特定の個人や集団に狂信的に従うことがなく、かつ、少数派の異論を暴力的に封じることがなければ――
民主主義が結束主義に変質をすることありません。
――民主主義の隣にファシズムがある。
との警句は、
――特定の個人や集団に狂信的に従うな。
および、
――異論を暴力的に封じるな。
という警告に置き換えることができる――
ということです。