マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

明治政府は民主主義を考えていたか

 ――明治政府は文民統制のことなど考えもしなかったのではないか。

 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。

 

 では、

 ――民主主義

 は、どうであったでしょうか。

 

 ここでいう、

 ――民主主義

 とは、

 ――国家の主権が民衆にあることを認め、民衆の代表が集まる議会などで合議の手続きをとっていく政治の体制――政体――

 のことです。

 

 明治政府は民主主義のことは、どれくらい考えていたでしょうか。

 

 ……

 

 ……

 

 (それなりに考えていた)

 と、僕は思っています。

 

 ただし――

 明治政府は、国民の主権が民衆にあるとは認めていません。

 

 国家の主権は、

 ――大権

 として天皇に認められていました。

 

 とはいえ――

 いわゆる、

 ――五箇条の御誓文

 の第一条、

 ――広く会議を興し、万機公論に決すべし。

 をみれば――

 

 (まあ、明治政府も民主主義のことを少しは考えていたのではないか)

 と、いえなくもないでしょう。

 

 “五箇条の御誓文”は、大権を握る天皇が、

 ――天地神明に誓う。

 という形式をとっています。

 

 民衆に主権はなく、天皇に大権があるけれども――

 その天皇が、

 ――広く会議を興し、万機公論に決すべし(様々な会議を催し、すべてのことを公に論じ合った上で決めていく)。

 と誓っているのですから――

 当時の明治政府の首脳部も、多少は民主主義のことを考えていたと感じられます。

 

 ……

 

 ……

 

 もちろん――

 厳密にいえば――

 “五箇条の御誓文”が、今日でいうところの民主主義を十分に踏まえていたとはいえませんが――

 この第一条、

 ――広く会議を興し、万機公論に決すべし。

 があったために――

 後年、これに拡大解釈がなされ、議会が設置をされるに至り――

 ひいては、今日でいうところの民主主義に通じうる底流が日本列島にもたらされた――

 とはいえるでしょう。

 

 この辺りは明治政府の良い点であり――

 ある程度の先進性を示していたといってよいと思います。

 

 ただし――

 それは手放しで褒め称えうることではありませんでした。

 

 どういうことかというと――

 

 ……

 

 ……

 

 作家の半藤一利さんがお亡くなりになりましたね。

 1月12日のことであったそうです。

 

 すでに90歳におなりであり――

 昨今では、始まったばかりの連載企画から退かれたりされていたので、

 (たぶん、ご体調が思わしくないんだろう)

 と拝察はしておりましたが――

 

 こうして、ご訃報に触れてみると――

 これからの日本列島の行く末が気になって、何だか心細く感じられます。

 

 ……

 

 ……

 

 半藤さんがご著書の中で繰り返し述べていらしたことに、

 ――民主主義の隣にファシズムがある。

 という警句があります。

 

 ここでいう、

 ――ファシズム

 とは――

 世界の近現代史でいうところの一般的な意味での「ファシズム」――結束主義――のことです。

 

 第二次世界大戦の頃のイタリアやドイツの動向――自国の民衆を狂信的に団結させた上で他国に侵略をしていくという外交・軍事の施策――そして、同じ頃に日本政府が採った軍国体制――は、しばしば、

 ――ファシズム

 と呼ばれます。

 

 半藤さんのお考えをお借りすると――

 明治政府――いわゆる戦前の日本政府――がファシズムに傾倒をしていったのは――

 民主主義の底流が、あらかじめ明治政府によって日本列島にもたらされていたからである――

 といえるでしょう。

 

 つまり、

 ――なまじ明治政府が民主主義のことを考えていたので、後世、日本はファシズムに傾倒をしていった。

 ということです。

 

 “五箇条の御誓文”に象徴をされる明治政府の先進性を――

 僕が手放しで褒め称える気にならないのは――

 そうしたことによります。