マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

「哲学・神学・医学・法学」の区分にも意味はある

 ――「哲学・神学・医学・法学」の区分を使い勝手が良いとは思わない。

 と、おとといの『道草日記』で述べました。

 

 それは、その通りなのですが――

 この区分に何の意味もないとは思っておりません――これにはこれで、それなりに、

 (意味はある)

 と思っております。

 

 どんな意味か――

 

 まず、

  哲学

 と、

  神学

  医学

  法学

 とに分けて考えます。

 哲学は教養学です。

 神学や医学や法学は実学です。

 

 哲学を実学とみなす向きもあるのですが――

 きょうのところは、その話は措きます。

 

 哲学は非実学です。

 

 では――

 実学である神学・医学・法学をどのように捉えるのか――

 

 これら学問の主題は、いずれも人です。

 実学ですから、当たり前です。

 

 最も捉えやすいのは医学でしょう。

 医学とは、

 ――人が生命として健康に生き続けるための学問

 です。

 鍵は「生命」です――たんに「個体」といってもよいでしょう。

 人の個体に宿っている生命をいかに健康に保つか――病気や老化への対応――それが医学の主題です。

 

 次に捉えやすいのは法学です。

 法学とは、

 ――人が集団として平穏に生き続けるための学問

 です。

 鍵は「集団」です――たんに「社会」といってもよいでしょう。

 人の集団である社会をいかに平穏に保つか――紛争や擾乱への対応――それが法学の主題です。

 

 では、神学は、どうか――

 

 神学とは、

 ――人が精神として安寧に生き続けるための学問

 です。

 鍵は「精神」です――たんに「世界」といってもよいでしょう。

 世界と向き合う人の精神をいかに安寧に保つか――恐怖や苦悩への対応――それが神学の主題です。

 

 以上のように敷衍すれば――

 中世ヨーロッパの学問が「哲学・神学・医学・法学」に区分されていた事実は、かなり容易に受け入れられます。

 

 人類の長い歴史を振り返ったときに――

 それなりに理に適った区分であるといえます。