――神経政治史学
が産声をあげたならば――
例えば、どうすれば日比谷・焼き打ち事件を未然に防げたか、などの空想さえも学問的な考察となりうることを――
きのうの『道草日記』で述べました。
ところで――
ふつう「政治史」といえば「歴史」です。
歴史には、もちろん、政治の歴史だけではなくて、経済の歴史、文化の歴史、科学技術の歴史など、さまざまな種類があるわけですが――
ふつう「歴史」といえば、政治の歴史を指します。
ですから、
――神経政治史学
とは、つまりは、
――神経歴史学
です。
ここまで述べると、ある程度、察しの良い方は、
――神経歴史学
という言葉遣いから、
――心理歴史学
を思い浮かべられることでしょう。
これまでの『道草日記』で繰り返し述べているように、“脳の神経模様”の推移――つまりは神経――こそが心理の基盤であるわけですから、「神経歴史学」から「心理歴史学」を連想することは、きわめて自然といえます。
この「心理歴史学」という言葉は、僕の造語ではありません――実在する言葉です。
――心理歴史学(Psychohistory)
は架空の学問を指す言葉として実在します。
20世紀アメリカの作家アイザック・アシモフ(Isaac Asimov)が自身のSF作品の中で用いた言葉です。
人間の集合を1つの集団とみなし、その集団の振る舞いを数学的に予測する学問とされます。
政治や経済などの社会的な刺激に対する人間の情動や応答に一定の規則性を見出すことで、膨大な数の人間から構成される集団の未来の振る舞いを予見する――つまり、未知の歴史を予見する――というのです。
このアイディアをアイザック・アシモフが思いついたのは1940年頃と推測されます。
当時も、神経細胞の概念はありましたが、その内容は素朴で未熟なものでした。
もし、アイザック・アシモフが現代の神経細胞の概念を知っていたならば、ひょっとすると、「心理歴史学」ではなく、「神経歴史学」を採用したかもしれません。
さらに、この『道草日記』の文脈からは大変に興味深いことに、アイザック・アシモフは後年になって、
――「心理歴史学」ではなく、「心理社会学」という名称でもよかったかもしれない。
といった主旨のことをもらしたそうです。
もし、そうならば、「心理歴史学」は「神経社会学」であったかもしれないわけで――それなら、僕のいう「神経社会科学」とほぼ同じですね(笑
誤解のないようにいっておきますと――
僕は、アイザック・アシモフの「心理歴史学」が登場するSF作品を、10代半ばで呼んでいます――原語版ではなく、翻訳版ですけれど――
なので――
アイザック・アシモフの「心理歴史学」の影響を僕が多分に受けていることは、ほぼ間違いありません(笑