マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

「生物社会科学」の例――神経経済学

 僕のいう「生物社会科学」とは、結局のところは、

 ――脳社会科学

 あるいは、

 ――神経社会科学

 と呼ぶべきものである、ということを――きのうの『道草日記』で述べました。

 より人口に膾炙しそうな言い回しは、

 ――神経社会科学

 のほうです――「神経―」には英語の「Neuro-」という便利な接頭語があるからです。

 実際に、

 ――神経経済学(Neuroeconomics)

 という学問が産声をあげています――人の経済活動をヒトの脳や神経細胞に絡めて理解していこうとする学問です――1990年代のことでした。

 これとよく似た学問に、

 ――行動経済学(Behavioral economics)

 があります――こちらは、人の経済活動を人の心理に絡めて理解していこうとする学問です。

 産声をあげたのは1950年代のようですが、学界で広く認知されるようになったのは1990年代のことです――ちょうど、神経経済学が産声をあげたのと同じ頃です。

 人の心理がヒトの脳や神経細胞を基盤にしているらしいことを考えれば、きわめて自然な成り行きです。

 これら2つの学問は、本質的には同じ学問といってよいでしょう。

 もちろん、神経経済学と行動経済学とを厳密に分けて考える人たちもいますが――少なくとも、人の心理がヒトの脳や神経細胞を基盤としているとみなすならば、両者を区別する意味はあまりありません。

 

 この神経経済学ないしは行動経済学――現時点では、めざましい成果を上げ続けているとは、まだいえません。

 理由は明らかで、ヒトの脳や神経細胞の活動の実態が、まだよくわかっていないからです。

 わかっているのは、

 ――脳のこの辺の神経細胞が、いま活発に働いているらしい。

 とか、

 ――ある種の物質が、脳のこの辺に多く出現しているらしい。

 とかいった程度のことです。

 それでも、ある程度のことは主張できるので、神経経済学ないしは行動経済学の研究で新たな知見が得られているのは間違いありませんが、経済学の発想を根幹から変えてしまうような知見は、まだ得られていないのです。

 

 (いずれは根幹から変えてしまうに違いない)

 と、僕は思っています。

 ヒトの脳や神経細胞の活動の実態を余すことなく観察できるようになれば――例えば、任意の時刻における脳の中の全ての神経細胞の状態を正確に把握できるようになれば――経済学の発想は根底から引っくり返るに違いありません。

 そのような把握を可能にする観察技術が、現時点では、まだ開発されていないのです。

 

 僕が「生物社会科学」というとき――

 まずは、この神経経済学を念頭においています。