マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

神経経済学や神経政治学の底流となる発想

 学問の目的は、

 ――現象を観察し、ときに実験で介入することで、その現象を司っているらしい原理を見出すこと

 である、という考えがあります。

 この考えを踏まえるならば、僕のいう「生物社会科学」は、次のことを目的とすることになります。

 ――“脳の神経模様”の推移を観察し、ときに実験で介入することで、“脳の神経模様”の推移を司っているらしい原理を見出すこと

 ただし、ここでいう“脳の神経模様”は、単一ではなく、集合でしょう。

 

 “生物社会科学”の有力な2つの候補として、

 ――神経経済学

 と、

 ――神経政治学

 とがある、ということは、3日前および4日前の『道草日記』で述べました。

 

 経済学も政治学も、結局は、民衆の集団心理を関心事としているように、僕には思えます。

 民衆の集団心理が、例えば、その時々の景気の傾向を支え、民意の方向を定めます。

 この民衆の集団心理というのは、民衆一人ひとりの“脳の神経模様”の集合です――もちろん、その集合は人の発言や行動などを介して互いに作用を及ぼし合っている数多の“脳の神経模様”の集合です。

 この“脳の神経模様”の集合が、一つの塊として、どのような推移をみせるのか――それが神経経済学および神経政治学の主要な関心事となるでしょう。

 まずは、実在の“脳の神経模様”の推移をデータとして集める必要があります――標本数は、おそらく数千、数万、数十万は必要です。

 それら推移のデータを解析し、実際に社会で起こった経済的事象や政治的事象とを照らし合わせ、それら事象が起こった際に、“脳の神経模様”としては、どんな現象が発生していたのかを明らかにする――例えば、

 ――去年、世界市場を大不況が襲ったのは、“脳の神経模様”が、このように推移していたからだ。

 とか、

 ――直近の総選挙で政権交代が起きたのは、“脳の神経模様”が、このように推移していたからだ。

 とかいった知見を得る――

 このような知見を数多く積み上げていった結果、“脳の神経模様”の推移に何か原理を見出すことはできないか――もし、原理を見出せたら、その原理をもとに、例えば、近未来の大不況や政権交代を予想することはできないか――

 こういった発想が、神経経済学や神経政治学の底流となっていくでしょう。

 

 以上のことは、もちろん、将来、“脳の神経模様”の推移をデータとして採取できるようになることが前提です。

 現在の科学技術では、その採取は無理ですし、仮に採取できたとしても、データの規模が大きすぎて、十分な解析はできないと思います――情報処理技術の簡単から考察したわけではありませんが、何といっても、一つの脳が含む神経細胞は約1000億個あり、それらが数ミリ秒単位で状態を変えるのです――そして、これら“脳の神経模様”を数千、数万、数十万という標本数で集め、さらに、それら“脳の神経模様”の推移の追跡を月単位で継続する必要があります――場合によっては、年単位で継続する必要がある――現在の情報処理技術では、とうてい解析できないでしょう。