民衆一人ひとりの“脳の神経模様”の集合が、一つの塊として、どのような推移をみせるのか――それが神経経済学や神経政治学の主要な関心事となるであろう、ということを――
きのうの『道草日記』で述べました。
僕個人は、神経経済学よりも神経政治学のほうに興味があります。
民衆一人ひとりの“脳の神経模様”の集合が、政治的事象に対応し、どのような推移をみせるのかが、気になっています。
より正確にいえば、その推移の様態に何か基本的な原理が見出せないかが、気になっているのです。
例えば、ある国家の民衆が他国の政府に対して懲罰的な感情を抱くのは、その“脳の神経模様”が、どのように推移するときなのか――あるいは、自国の政府に対して懲罰的な感情を抱くのは、どのように推移するときなのか――そして、他国の政府に対して抱く懲罰的な感情を具現化させると――例えば、侵略戦争を仕掛けると――その“脳の神経模様”は、どのように推移するのか――あるいは、自国の政府に対して抱く懲罰的な感情を具現化させると――例えば、政権を転覆させると――その“脳の神経模様”は、どのように推移するのか――
そういった推移の様態がわかれば、例えば、“脳の神経模様”が何か特定の様態をもって推移するときに、その“脳の神経模様”の集合に対応する民衆は他国の政府に対する侵略戦争を積極的に支持する可能性があるとか、逆に自国の政府に対して政権を転覆させようとする可能性があるとかいったことも、予見できるでしょう。
もちろん、現状では、そもそも“脳の神経模様”それ自体がデータとして全く採取できないのですから、以上に述べたことは、絵に描いた餅です。
が、その“餅”がどのような味わいなのかを想像してみることは、それなりに興味深いといえます。
すぐに思いつくのは、世論調査です。
現状ではアンケートへの回答や面談での聴取で行う世論調査ですが、もし“脳の神経模様”のデータを採取することで行うならば、その確度は格段に高くなるでしょう。
具体的には、予見性が増すと考えられます。
例えば、日々の生活者が天気予報をみて服装を決めるように、政権を担う政治家は世論調査をみて政策を決めるようになるでしょう。
その世論調査は、“脳の神経模様”を直にみているという意味で、現状の天気予報に似ています。
世論調査の確度が格段に高くなるということは、つまりは、そういうことです。