マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

「生物社会科学」の例――神経政治学

 僕のいう「生物社会科学」の例の1つ――実在する例の1つ――として、神経経済学を、きのうの『道草日記』で挙げました。

 同時に、神経経済学が現時点でもたらしている成果は、とうてい満足のいくレベルではない、ということも述べました。

 また、その理由は、ヒトの脳や神経細胞の活動の実態が、まだよくわっていないことである、ということも述べました。

 

 もし、ヒトの脳や神経細胞の活動の実態がよくわかってきたら――例えば、任意の時刻における脳の中の全ての神経細胞の状態を正確に把握できるようになれば――神経経済学もちろん、他の“生物社会科学”も大いに発展するに違いありません。

 そのような“生物社会科学”の候補として、人類に最も切迫性のある知見をもたらしそうなのは、

 ――神経政治学(Neuropolitics)

 でしょう――政治活動を、政治家や民衆の一人ひとりの脳や神経細胞の活動の実態と関連づけようとする学問です。

 この「神経政治学」は、僕の造語ではありません――2000年代以降、実際に産声をあげつつある学問です。

 が、神経経済学と同様の理由で、まだ成果らしい成果はあげていません。

 もし、ヒトの脳や神経細胞の活動の実態がよくわかってきたら――例えば、任意の時刻における脳の中の全ての神経細胞の状態を正確に把握できるようになれば――神経政治学は、神経経済学とは違った意味で、人類に欠かせない学問へと発展するでしょう。

 

 十分に発展した神経経済学がもたらす知見は、経済活動の推移の予見や経済活動の制御の方法です。

 それら知見は、人類が、経済活動で得られる利益を程よく獲得し、かつ被る損害を程よく回避するための鍵となるでしょう。

 

 一方――

 十分に発展した神経政治学がもたらす知見は、政治活動の推移の予見や政治活動の制御の方法です。

 それら知見は、人類が、国家間戦争などの凄惨な政治闘争を予防し、安定した政治状況を維持するための鍵となるでしょう。

 

 大勢の人々の生殺与奪を直に握っているという意味で、神経経済学よりも神経政治学のほうが、人類にとって、より切実な学問といえます。