マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

不毛な考察ではあったけれど

 ――感情の分布図

 について――

 厳密には、

 ――「“感情の分布図”を示す」という試み

 について――

 きのうまでの『道草日記』で延々と述べてきました。

 

 正直にいって、

(かなり不毛な考察であった)

 と思っています。

 

 そもそも、

 ――感情

 を言葉で表そうとするのが不毛であるように――

 僕には思えます。

 

 それでも――

 このことについて延々と述べてきたのは――

 僕が個人的に、

 ――「感情の分布図」というものを描けるのか。

 という問いに関心をもったからです。

 

 心理学では、しばしば、

 ――感情の整理・分類

 が試みられているようですが――

 

 そうした試みに――

 僕自身は、かなり懐疑的でした。

 

 (無理だろ)

 と思っていました。

 

 というよりも――

 

 (不毛だろ)

 と思っていました。

 

 が――

 

 実際に、

 ――感情の整理・分類

 を試み――

 

 あっさり諦め――

 その代わりに、

 ――“感情の分布図”の提示

 を試みることに切り替え――

 

 その後――

 それなりに粘って考え詰めた結果――

 

 (条件がそろえば、もしかしたら、何んとかなるのかもしれない)

 との感触を得ました。

 

 その「条件」とは――

 

 ――人の感情が、ヒトの脳の神経細胞に関わる何らかの変数に置き換えられるようになれば――

 です。

 

 僕は、2019年9月25日や2019年9月26日の『道草日記』で、

 ――もし、ヒトの脳や神経細胞の活動の実態がよくわかってきたら――例えば、任意の時刻における脳の中の全ての神経細胞の状態を正確に把握できるようになれば――経済学や政治学が根底から書き換えられることになる。

 と述べています。

 

 ここでいう、

 ――例えば、任意の時刻における脳の中の全ての神経細胞の状態を正確に把握できるようになれば――

 というのは、おそらく、

 ――人の感情が、ヒトの脳の神経細胞に関わる何らかの変数に置き換えられるようになれば――

 と、ほぼ同義です。

 

 もちろん――

 このような条件が満たされることは――

 現代の自然科学では、

 ――夢のまた夢――

 といわざるをえないのですが――

 

 そのような条件が、いつか満たされる日を夢みて――

 僕は、

 ――「“感情の分布図”を示す」という試み

 に、ちょっと本気を出して取り組んでみました。

 

 (取り組んでみてよかった)

 と今は思っています。