心理的な営為としての、
――記憶
と――
生理的な現象としての、
――記録
との対応を考えるときに――
――記録
とは、
である――
ということを、きのうの『道草日記』で述べました。
さらに――
その“様式”を示している神経細胞は、それぞれが、どの神経細胞と繋がっているのか――あるいは、繋がっていないのか――が重要であり――
それら神経細胞が、脳を含む神経系のどの部位に存在をしているのかは大して重要ではない――
ということも――
そして――
そのような意味で、
――“記録”は、脳の特定の部位に格納をされて貯蔵をされている。
という発想は的を外している――
ということも、きのうの『道草日記』で述べました。
つまり、
――記録の格納
あるいは、
――記録の生成
とは、
であり――
この“様式”の形成にとって重要なのは――
その“神経細胞どうしの繋がりの様式”が、脳を含む神経系のどの部位に存在をしているのか、という条件ではなくて――
何か、もっと別の条件である――
ということです。
では――
その重要な「何か、もっと別の条件」とは、何でしょうか。
僕は、
――紐(ひも)づけ
であると考えています。
――紐づけ
というのは比喩表現です。
実際に、脳を含む神経系の中に紐があるわけではありません。
比喩表現を用いずにいえば、
――関連づけ
となるでしょう。
それが、他のどの“神経細胞どうしの繋がりの様式”と関連づけられているか――あるいは、関連づけられていないか――
という条件です。
つまり、
――記録の格納
あるいは、
――記録の生成
とは、
――“神経細胞どうしの繋がりの様式”に何らかの“関連づけ”がなされること
です。