――記録の格納
――記録の貯蔵
――記録の搬出
の比喩表現を用いると――
あたかも「記録」という名の物質的な媒体が存在をしていて、それら媒体が脳の特定の部位に格納をされて貯蔵をされたり、必要に応じて搬出をされたりするかのように感じられるけれども――
そのような機序を示しうる生理的な現象は、実際の脳においては、何一つ確認をされていない――
ということを、きのうの『道草日記』で述べました。
……
……
――記憶は物質ではない。
とは、しばしば、いわれることです。
――記憶は物質である。
と仮定をすると――
色々な矛盾が生じてしまうからです。
今――
僕は、心理的な営為としての、
――記憶
と、生理的な現象としての、
――記録
との対応を考えています。
よって、
――記憶は物質ではない。
という主張を受け入れるのであれば、当然ながら、
――記録も、また物質ではない。
という主張も受け入れることが必要でしょう。
実際に、
――脳には、「記憶」はもちろん、「記録」という名の物質的な媒体は存在をしていない。
という主張を――
僕は積極的に受け入れたいと思っています。
――記録
が物質でないのなら――
では、いったい何なのか――
……
……
僕は、
――“記録”は概して形態である。
と思っています。
――脳を含む神経系を成す神経細胞どうしの繋がりの様式である。
と――
……
……
神経細胞どうしの繋がりに、ある特定の様式が生成をされることで、“記録の生成”が起こり、その様式が存続をされることで、“記録の存続”が成り立つ――
そのように考えています。
とは、
――どの神経細胞と神経細胞とが繋がっていて、どの神経細胞と神経細胞とが繋がっていないのか。
によって明確に区別をされうる状態であり――
その状態は、要するに、形態――神経細胞の集合が示しうる形態――に他なりません。
その“神経細胞どうしの繋がりの様式”の形態は、おそらく、脳を含む神経系の全体に満遍なく広がっていることでしょう。
どこかに局在をしているとは、ちょっと思えない――
その“様式”を示している神経細胞は、それぞれが、どの神経細胞と繋がっているのか――あるいは、繋がっていないのか――が重要なのであって――
それら神経細胞が、脳を含む神経系のどの部位に存在をしているのかは大して重要ではありません。
そのような意味で、
――“記録”は、脳の特定の部位に格納をされて貯蔵をされている。
という発想は的を外しているといえます。
強いていえば、
――“記録”は、脳を含む神経系の全体で格納をされて貯蔵をされている。
といえます。