脳を含む神経系においては、
形態 = 配線
である――
ということを、きのうの『道草日記』で述べました。
ここでいう、
――配線
とは、おとといの『道草日記』で述べたように、
のことです。
ところで――
……
……
形態 = 配線
であるならば、
機能 = X
の「X」に埋まる言葉は何でしょうか。
つまり――
脳を含む神経系において、
――機能
とは何なのか――
……
……
この辺りから――
話は急にみえなくなってきます。
理由は明快です。
――心理と生理との分断
です。
少なくとも、
――ヒトの神経系の機能
は、人の精神の主観的な側面とヒトの神経系の客観的な側面とに分けられます。
どちらも、
――ヒトの神経系の機能
には違いないと、多くの人たちが信じているのですが――
人の精神の主観的な側面とヒトの神経系の客観的な側面とは、あまりにも範疇が違いすぎるように感じられるために――
とても同一の事物の相異なる側面とは、いいがたいのです。
よって――
脳を含む神経系について、
形態 = 配線
の図式を考える際に、
機能 = X
の図式も考えるのであれば――
かなり用心をしなければなりません。
少なくとも、
――心理と生理との分断
をありのままに踏まえるなら、
機能 = X
の「X」には、相異なる2つの言葉が埋まってしまうのです。
今――
それら相異なる2つの言葉を、それぞれ、
X(1)
X(2)
と記しましょう。
X(1)= X(2)
が成り立つことは必要です。
必要ですが――
何ら保証はされていません。
ただ何となく、
X(1)= X(2)
であると皆で信じているだけです。
ただ何となく皆で信じていることを前提に、議論や考察を進めるのは――
あまり健全ではありません。
にもかかわらず――
例えば、
機能 = X(1)
の図式を不用意に持ち出してしまえば――
その時点で、議論や考察は不健全になってしまう――
機能 = X
と、
機能 = X(1)
とでは意味合いが全く違うからです。