マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

記憶に物質的な基盤は存在をしない

 記憶に関する心理的な営為は、

 ――記銘

 ――保持

 ――想起

 の少なくとも3つに細分化をされ――

 それら心理的な営為は――

 以下の3つの生理的な現象、

 ――記録の格納

 ――記録の貯蔵

 ――記録の搬出

 に、それぞれ相当をする――

 ということを、おとといの『道草日記』で述べました。

 

 実際には、

 ――記録の格納

 も、

 ――記録の貯蔵

 も、

 ――記録の搬出

 も比喩表現です。

 

 ――記録の格納

 ――記録の貯蔵

 ――記録の搬出

 という表現ですと――

 あたかも「記録」という名の物質的な媒体が存在をしていて、それら媒体が脳の特定の部位に格納をされて貯蔵をされたり、必要に応じて搬出をされたりするかのように感じられますが――

 そうではありません。

 

 そのような形式での説明が巧く当てはまりそうな現象は、今のところ、少なくとも脳を含む神経系では、確認をされていないのです。

 

 ――記憶には物質な基盤が存在をしていないようである。

 ということは、遅くとも20世紀の段階で、わかっていました。

 

 よって――

 より正確な表現を用いるならば、

 ――記録の格納

 ――記録の貯蔵

 ――記録の搬出

 ではなく、

 ――記録の生成

 ――記録の存続

 ――記録の照会

 となります。

 

 つまり、

 ――記銘

 は、

 ――記録の生成

 に相当をし、

 ――保持

 は、

 ――記録の存続

 に相当をし、

 ――想起

 は、

 ――記録の照会

 に相当をする――

 ということです。

 

 ただ、

 ――記録の生成

 ――記録の存続

 ――記録の照会

 では、少なくとも直感的には、わかりにくいので――

 あえて、

 ――記録の格納

 ――記録の貯蔵

 ――記録の搬出

 という比喩表現を用いました。

 

 どちらの表現が、わかりやすいでしょうかね。

 

 ……

 

 ……

 

 もう少し考えてみます。