マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

重要なのは“記録の格納”――

 脳を含む神経系について、

 

  (末梢起始の演算 + 中枢起始の演算)× 記録

  = 感覚の体験 + 反応の体験

 

 の図式が得られるということを――

 また、この図式の1行目の「記録」の果たしている役割が並外れて重要であるということを――

 きのうまでの『道草日記』で述べました。

 

 さらにいえば――

 1行目の「記録」に相当をする要素を2行目に求めるなら――

 それは、

 ――体験の記憶

 であろう――

 ということも述べました。

 

 ――記憶

 が、少なくとも、

 ――記銘

 ――保持

 ――想起

 の3つに細分化をされうることは――

 きのうの『道草日記』で述べた通りです。

 

 では、

 ――記録

 は、どうでしょうか。

 

 ……

 

 ……

 

 なかなかに難しいところです。

 

 が――

 今、もし、

 ――記憶

 と、

 ――記録

 との対応を考えようとするのなら――

 

 ――記録

 にとっての、

 ――記銘

 や、

 ――保持

 や、

 ――想起

 に相当をする概念が何なのかは、ちょっと気になるところです。

 

 それら概念を――

 ひとまず言葉で書き表しておきましょう。

 

 色々な表現がありうるかとは思いますが――

 ここでは、

 ――格納

 ――貯蔵

 ――搬出

 とします。

 

 つまり、

 ――記録の格納

 が、

 ――記銘

 であり、

 ――記録の貯蔵

 が、

 ――保持

 であり、

 ――記録の搬出

 が、

 ――想起

 である――

 ということです。

 

 すぐにおわかりのように、

 ――記銘

 ――保持

 ――想起

 が心理的な営為であるのに対して、

 ――記録の格納

 ――記録の貯蔵

 ――記録の搬出

 は生理的な現象であるといえます。

 

 きょうの『道草日記』の冒頭で、

 

  (末梢起始の演算 + 中枢起始の演算)× 記録

  = 感覚の体験 + 反応の体験

 

 の図式における「記録」の役割が非常に重要であると述べました。

 

 とりわけ重要なのは、おそらくは、

 ――記録の格納

 である、と――

 僕は考えています。

 

 例えば、どんなふうに“末梢起始の演算”の記録を納めるのか――いかにして“中枢起始の演算”の記録と分けて納めるのか――

 その点が要でしょう。