脳を含む神経系について、
演算 × 記録
= 感覚の体験 + 反応の体験
の図式は、
(末梢起始の演算 + 中枢起始の演算)× 記録
= 感覚の体験 + 反応の体験
に書き換えられる――
ということを、きのうの『道草日記』で述べました。
ここで留意をしておきたいことは、
演算 × 記録
= 感覚の体験 + 反応の体験
が、
(末梢起始の演算 + 中枢起始の演算)× 記録
= 感覚の体験 + 反応の体験
に書き換えられるからといって、
末梢起始の演算 × 記録 = 感覚の体験
や、
中枢起始の演算 × 記録 = 反応の体験
の図式が成り立つというわけではない――
ということです。
おそらく、“感覚の体験”の基盤となっている演算は、神経系の末梢で始まるものだけではなく、中枢で始まる演算も、少なくとも部分的には、含まれているでしょう。
また、“反応の体験”の基盤となっている演算は神経系の中枢で始まるものだけではなく、末梢で始まる演算も、少なくとも部分的には、含まれているでしょう。
つまり
(末梢起始の演算 + 中枢起始の演算)× 記録
= 感覚の体験 + 反応の体験
の図式では、1行目の「記録」の果たしている役割が並外れて重要である――
ということです。
1行目の「記録」に相当をする要素を2行目に求めるとしたら、
――体験の記憶
でしょう。
ここでいう「記憶」とは、もちろん、心理的な意味での「記憶」であり――
その意味は、さらに、
――記銘
――保持
――想起
などに細分化をされます。
いずれの言葉も、その意味は、「演算」や「記録」と比べれば、だいぶ曖昧であり、図式化には馴染みません。
とはいえ、
――体験
の中に、
――記憶
が含まれ――
その「記憶」の中に、
――記銘
が含まれると、みなせることから、
(末梢起始の演算 + 中枢起始の演算)× 記録
= 感覚の体験 + 反応の体験
の図式に深刻な矛盾があるとは、少なくとも直ちには、いえないでしょう。