マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

「内からの感覚」は、実は反応――

 脳を含む神経系について、

 

  機能 = 演算 × 記録

     = 感覚の体験 + 反応の体験

 

 の図式を得る――

 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。

 

 とりわけ、

 

  演算 × 記録

  = 感覚の体験 + 反応の体験

 

 の図式を得たことによって――

 今まで、全くわからなかったことが、何となくわかるようになった気がしています。

 

 例えば――

 僕は、4日前の『道草日記』で――

 感覚には、

 ――勘

 や、

 ――ひらめき

 といった、いわば、

 ――内からの感覚

 と呼べそうな感覚が含まれる――

 と述べましたが――

 

 (これも、よく考えたら、間違いだな)

 と今では思っています。

 

 同じ4日前の『道草日記』で述べたように、

 

  演算 × 記録

  = 感覚の体験 + 反応の体験

 

 の図式における

 ――反応の体験

 というのは――

 厳密には、

 ――感覚の体験への反応の体験

 でした。

 

 ――勘

 や、

 ――ひらめき

 というのは――

 目や耳といった感覚器を通して察知をしうる情報とは明らかに異質であるという観点からいえば――

 感覚とはみなしがたいのです。

 

 ――勘

 や、

 ――ひらめき

 は、感覚というよりは、むしろ、反応――運動や反射あるいは思考や決断など――のほうに似ています。

 

 つまり、

 ――感覚の体験

 への反応ですね。

 

 が、

 ――勘

 や、

 ――ひらめき

 という反応は――

 通常、どの“感覚の体験”に対する反応なのかが曖昧ないし不明なのです。

 

 よって――

 反応であるにもかかわらず、少なくとも見かけ上は、

 ――内からの感覚

 として捉えられうる、と述べるべきであった、と――

 今では思っています。

 

 つまり、

 ――内からの感覚

 と呼べそうな感覚というのは――

 実は感覚ではなくて――

 反応なのです。