脳を含む神経系について、
形態 = 配線
の図式に加え、
機能 = X
の図式を考えるときに――
もし、
――心理と生理との分断
を正直に踏まえるならば――
その「X」には、相異なる2つの言葉「X(1)」と「X(2)」とを埋めざるをえないのであるが――
X(1)= X(2)
の図式が保証をされていないのであれば、
機能 = X(1)
も、
機能 = X(2)
も安易に受け入れてはならない――
ということを、3日前の『道草日記』で述べました。
……
……
僕は――
おとといの『道草日記』で、
機能 = 演算
といい――
きのうの『道草日記』で、
機能 = 体験
といいました。
一方、
演算 = 体験
の図式は、少なくとも僕には、何ら保証はされていないように思えます。
よって、
機能 = 演算
も、
機能 = 体験
も、このままでは受け入れることはできません。
これらを受け入れるためには、
演算 = 体験
が保証をされるような、何か新たな知見ないしは新たな洞察が必要です。
新たな知見は――
自分の手を動かし、新たな実験や観察を行わなければ、絶対に得られません。
が――
新たな洞察なら――
これまでの実験や観察で得られている知見の全てを過不足なく踏まえることによって――
ひょっとすると、得られるかもしれない――
……
……
新たな知見を求めるか――
新たな知見はさておき――
新たな洞察を求めるか――
それは――
人それぞれでしょう。
どちらをより重要と考えるか――
あるいは――
どちらをより面白いと考えるか――
……
……
僕は――
新たな知見を求めるほうが、より重要であるとは思います。
が――
新たな洞察を求めるほうが、より面白いとも思います。