マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

“記録の格納”ないし“記録の生成”とは、要するに――

 ――記録の格納

 あるいは、

 ――記録の生成

 とは、

 ――“神経細胞うしの繋がりの様式”に何らかの“関連づけ”がなされること

 である――

 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。

 

 ここでいう、

 ――記録

 とは――

 11月10日および11月11日の『道草日記』で述べたように――

 心理的な営為である、

 ――記憶

 に基盤を与えている生理的な現象を指し、

  演算 × 記録 = 感覚の体験 + 反応の体験

 の図式を満たしています。

 

 この図式は――

 11月13日の『道草日記』で述べたように――

 

  (末梢起始の演算 + 中枢起始の演算)× 記録

  = 感覚の体験 + 反応の体験

 

 と書き改めることが可能です。

 

 一方、

 ――記録の格納

 ないし、

 ――記録の生成

 の本質は――

 11月16日の『道草日記』で述べたように――

 ――“末梢起始の演算”の記録と“中枢起始の演算”の記録との仕分け

 にあると考えられます。

 

 よって、

 ――記録の格納

 ないし、

 ――記録の生成

 を、

 ――“神経細胞うしの繋がりの様式”に何らかの“関連づけ”がなされること

 とみなすということは、

 ――“末梢起始の演算”の進行の記録が“関連づけ”をされるのは、あくまで過去の“末梢起始の演算”の進行の記録とであって、決して過去の“中枢起始の演算”の進行とではなく、また、“中枢起始の演算”の進行の記録が“関連づけ”をされるのは、あくまで過去の“中枢起始の演算”の進行の記録とであって、決して過去の“末梢起始の演算”の進行とではない。

 ということです。

 

 ところで、

 ――神経細胞うしの繋がりの様式

 というのは――

 11月18日の『道草日記』で述べたように――

 ――神経細胞の集合が示しうる形態

 のことであり――

 11月4日および11月5日の『道草日記』で用いた、

 ――脳内配線

 という言葉を用いるなら、

 ――特定の演算で作動をする脳内配線

 のことであるので――

 

 ――“神経細胞うしの繋がりの様式”の“関連づけ”

 というのは――

 おそらく、

 ――“特定の演算で作動をする脳内配線”の“類似性の生成”

 です。

 

 よって――

 先ほど、

 ――“末梢起始の演算”の進行の記録が“関連づけ”をされるのは、あくまで過去の“末梢起始の演算”の進行の記録とであって、決して過去の“中枢起始の演算”の進行とではなく、また、“中枢起始の演算”の進行の記録が“関連づけ”をされるのは、あくまで過去の“中枢起始の演算”の進行の記録とであって、決して過去の“末梢起始の演算”の進行とではない。

 と述べたことは――

 以下のように書き換えられるでしょう。

 

 ――“末梢起始の演算”で作動をする“脳内配線”は全て互いに類似をしていて、“中枢起始の演算”で作動をする“脳内配線”も全て互いに類似をしているが、“末梢起始の演算”で作動をする“脳内配線”と“中枢起始の演算”で作動をする“脳内配線”とは互いに類似をしていない。

 

 ――記録の格納

 ないし、

 ――記録の生成

 とは、要するに、

 ――“脳内配線の類似性”の生成

 のことです。