ヒトの脳や神経細胞の活動の実態を余すことなく観察できるようになれば――例えば、任意の時刻における脳の中の全ての神経細胞の状態を正確に把握できるようになれば――僕のいう「生物社会科学」は格段の発展を遂げるであろう、ということを――
きのうの『道草日記』で述べました。
――任意の時刻における脳の中の全ての神経細胞の状態を正確に把握する。
とは、どういうことか――
脳の中の神経細胞は膜に囲まれています。
この膜の内側と外側とには電位差があり、ふだんは内側の電位が外側の電位に対して低いのですが、何かの拍子で、その電位差が僅かな時間だけ反転することがあります――つまり、内側の電位が外側の電位に対して高くなることがあるのです。
この電位差の反転は、主には他の神経細胞――1つの神経細胞とは限りません――から信号を受けとって起こると考えられていますが、まったく自発的に起こる場合もあると考えられています。
神経細胞の膜の電位差が、ふだん通りに保たれている状態を「静止状態」と呼び、電位差が反転している状態を「興奮状態」と呼びます――つまり、神経細胞は「静止」と「興奮」との2つの状態をとるのですね。
この様子が、「オン」「オフ」2つの状態をとるコンピュータの素子と似ているので、脳は、しばしばコンピュータになぞらえられるのですが――そもそも、脳の神経細胞が「静止」「興奮」2つの状態をとっているからこそ、素子が「オン」「オフ」2つの状態をとる装置(コンピュータ)が発明されたのだと、考えることもできます。
ところで――コンピュータの素子の「オン」「オフ」と脳の神経細胞の「静止」「興奮」とでは決定的に違うことがあります。
それは、
――コンピュータの素子の「オン」「オフ」は基本的には人によって制御されうるが、脳の神経細胞の「静止」「興奮」は基本的には人によって制御されえない。
ということです。
これゆえにこそ、人の気持ちは人によって制御されえず、また人の発言や行動もまた人によって部分的にしか制御されえません――もちろん、人は意識的には制御しているつもりになっていますが、無意識的には――無意識なので当たり前ですが――まったく制御できていないのです。
僕のいう「生物社会科学」では、この脳の神経細胞の「静止」「興奮」を、できる限り制御することが目標とされます。
脳はコンピュータではないので、どんなに“生物社会科学”が高度に発達しても、神経細胞の「静止」「興奮」を完全に制御することは無理であるはずです――よって、
――できる限りの制御
が目標となるのです。
ただし、制御は無理でも、把握は可能であろうと、僕は予測しています――つまり、任意の時刻における脳の中の全ての神経細胞の「静止」「興奮」を正確に把握することならできる――
今、これら神経細胞の「静止」「興奮」の様式を、
――脳の神経模様
と呼ぶことにしましょう。
――任意の時刻における脳の中の全ての神経細胞の状態を正確に把握する。
とは、
――任意の時刻における“脳の神経模様”を詳細に把握する。
ということに他なりません。