マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

いつまでも同じ時代が続くということはありえない

 在韓アメリカ軍の撤退の可能性を考えるに際し、

 (これからは教育のことをちょっと真剣に考えなければならないのではないか)

 と、僕が思っている、ということを――

 きのうの『道草日記』で述べました。

 

 教育を、学問的な分類に基づき、便宜上、

 ――人文科学教育

 ――社会科学教育

 ――自然科学教育

 の3つに分けるとしたら、社会的環境が激変する際に必要な教育は、ほぼ間違いなく、

 ――社会科学教育

 でしょう。

 学校教育的な分類――あるいは、いわゆる“時間割表”的な分類――に基づくなら、

 ――社会科

 です。

 とりわけ重要なのは、歴史であろうと思います――自分が住む国や地域の歴史、あるいは、自分が住む国や地域の周辺の国や地域の歴史――

 

 ――社会科学教育が重要、なかでも歴史教育が重要――

 という主張には、何となくスッキリしない印象を受けます。

 1970年代生まれの僕にとっては、それは、控えめにいって、

 (斬新――)

 で、遠慮なくいえば、

 (違和感あり)

 です。

 

 僕が子どもであった頃は、

 ――自然科学教育が最も大切だ。

 と、よくいわれていました。

 その後しばらくは、そういう時代が続いていたと思います。

 少なくとも2010年頃までは、そうでした。

 

 今は、

 (違う)

 と、僕は思っています。

 

 自然科学が大切にされるのは、社会的環境が平穏であるときなのです。

 自然科学が科学技術を支持し、互いに相乗効果をきたしあうことで、それらの発展に寄与することにより、人類の知見がより豊潤かつ深遠になる――あるいは、社会の活動がより高質かつ広範になる――

 

 が、社会的環境が激変すれば、そうもいっていられません。

 大切にされるのは、社会科学です。

 

 僕が子どもであった頃は、社会的環境は――いわゆる冷戦構造などはありましたが――何だかんだいって、平穏でした。

 よって、「自然科学教育が最も大切だ」といわれていた――ある意味、そのように無邪気にいわれていた――

 

 が、今は、どうも違います。

 ――社会科学教育が最も大切だ。

 といわざるをえない――在韓アメリカ軍の撤退の可能性が声高に報道され、近い将来、日本列島の社会的環境が激変しそうな現状をみれば、そのようにいわざるをえない――

 

 簡単にいえば、

 (時代が変わった)

 ということです。

 

 このことをもって、

 ――残念

 とは形容したくありません――「時代が変わった」ということを、できるだけ中立的に捉えたい――悲観も楽観もしたくない――そう思います。

 

 思えば、古今東西そうでした。

 時代は変わるのです――いつまでも同じ時代が続くということはありえないのです。