マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

“10年先、100年先の医療”か“目の前の人の病気や怪我”か

 ――内科も外科も目指すところは同じである。

 ということを――

 きのうの『道草日記』で述べました。

 

 簡単にいうと、

 ――医学・医療の最終目標 

 である、

 ――病気や怪我を完全に元通りに戻すこと

 を目指す上で、

 ――まずは体の仕組みを完全に解き明かそう。

 というのが内科の発想であり、

 ――少しでも完全な元通りへ近づけていこう。

 というのが外科の発想である――

 ということになります。

 

 内科の発想は、

 ――学

 に根差していて――

 外科の発想は、

 ――芸

 に根差している――

 ともいえます。

 

 が――

 実際には、内科も外科も、

 ――医療の実践

 が主眼ですから、

 ――内科の発想も外科の発想も、どちらも“芸”に根差しているべきである。

 といわねばなりません。

 

 そういう意味では――

 外科の発想のほうが内科の発想よりも“医療の実践”の本分に即している、とはいえます。

 

 おとといの『道草日記』で、

 ――実は「外科が本道(ほんどう)、内科は外道(げどう)――」である。

 といったのは――

 そうしたことによります。

 

 とはいえ――

 

 内科の発想――つまり、“学”の発想がなければ、医学の進展はなく――

 医学の進展がなければ、医学に裏打ちをされる医療の発達もありません――つまり、“芸”の発達がありえないのです。

 

 そういう意味では――

 ――内科本道、外科外道――

 ということになります。

 

 あるいは――

 こうともいえるでしょうか。

 

 ――10年先、100年先の医療を考えるなら「内科本道、外科外道――」であり、目の前の人の病気や怪我を考えるなら「外科が本道、内科は外道――」である。

 と――

 

 要するに――

 実際には――

 

 ――医者

 は――

 ――内科の医者

 であろうと、

 ――外科の医者

 であろうと――

 内科と外科との双方の発想に通じていなければ、

 ――医者として真っ当である。

 とはいえないのです。