――紀元2世紀ギリシャ・ローマの医師・医学者アエリウス・ガレノス(Aelius Galenus)は、血液の全身の巡りを非常に複雑に考えていた。
ということを、きのうの『道草日記』で述べました。
少なくとも、今日の僕らの理解よりは遥かに複雑ですし――
17世紀序盤に活動をしたイギリスの医師・生理学者ウィリアム・ハーヴィー(William Harvey)の「血液循環」説と比べても、十分に複雑です。
それゆえに――
ハーヴィーの、
――「血液循環」説の確立
は、十分にパラダイム・シフト(paradigm shift)とみなしうる、と――
僕は考えているのですが――
このパラダイム・シフトの画期性を十分に噛みしめるには――
ガレノスが、なぜ、きのうの『道草日記』で述べたような、非常に複雑な考えに至ったのかを知る必要があります。
理由は幾つか挙げられますが――
最も本質的な理由は、
――人の体の解剖が十分に行えなかったから――
でしょう。
宗教的ないし道徳的な理由から――
ときの権力者たちは、人の体の解剖を禁じました。
特例的に認められることがあり――
人の体の解剖が全く行われなかったわけではないのですが――
それでも――
医学の発展に寄与をしうるだけの頻度で行われたわけでないことは、おそらく間違いありません。
よって――
ガレノスは、人の体の解剖に関する僅かな記録と、人の体に似ていると信じられていた動物――サルやブタ、ヤギなど――の体の解剖で得られた知見とを組み合わせて――
あのように複雑な血液の巡り方を考え出したのです。
もし、人の体の解剖が自由に行えていたら――
ガレノスは、ひょっとすると、紀元2世紀の時点で、ハーヴィーと同じ洞察に達していたかもしれません。
ガレノスの考えた血液の巡りは、たしかに真実からは程遠かったのですが――
それ以外のことでは――
例えば、筋肉の形態や機能に関する記述などでは――
かなりの正確性が認められています。