マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

「血液循環」説が確立をされる前

 ――“「血液循環」説の確立” はパラダイム・シフト(paradigm shift)とみなしうる。

 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。

 

 どんなパラダイム・シフトも、そうだと思いますが――

 今日の僕らにとって――つまり、パラダイム・シフトが起こった後に生きている僕らにとって――パラダイム・シフトが起こる前のことを思い浮かべるのは、なかなかに難しいのです。

 

 ――「血液循環」説の確立

 の場合も同じです。

 

 この説が確立をされる前に――

 医師・医学者らは血液の全身の巡りをどのように考えていたか――

 それを正確に記すことは容易ではありません。

 

 だいたいはガレノスの考えに従っていたと考えられます。

 

 ――ガレノス

 というのは――

 紀元2世紀ギリシャ・ローマの医師・医学者アエリウス・ガレノス(Aelius Galenus)のことです。

 

 ――クラウディウス・ガレノス(Claudius Galenus)

 と呼ばれることもあります。

 

 ――「血液循環」説

 が確立をされる前――

 血液の全身の巡りについては――

 ガレノスの観方が主流でした。

 

 その観方は、ガレノスの死後、実に 1,400 年以上もの長きにわたって、主に中世ヨーロッパで、連綿と受け継がれてきたのです。

 

 ガレノスは、血液の全身の巡りをどのように考えていたのか――

 

 ……

 

 ……

 

 非常に複雑に考えていました。

 

 現代医学風の言葉にいいかえ、あえて簡単に述べますと――

 次のようになります。

 

 ――小腸で吸収をされた栄養が肝臓へ運ばれ、血液に作り変えられる。肝臓で作り変えられた血液は、静脈ないし大静脈を通り、全身へいきわたる。一方、肺で吸収をされた蒸気のようなものが心臓へ運ばれ、心臓で血液と混ざり合う。心臓で蒸気のようなものと混ざり合った血液は、大動脈を経て動脈を通り、全身へいきわたる。

 

 ここまでは、そこそこに単純な観方といえるのですが――

 この観方によれば、血液は大動脈や動脈を流れないことになります。

 

 実際――

 ガレノスより 500 年ほど前のエジプトでは「血液は静脈のみを流れ、動脈は流れない」と考えられていました。

 

 ――動脈を血液が流れない?

 と驚く向きもあるでしょう。

 

 亡くなった人の体で解剖を行うとわかるのですが――

 動脈には血液が多く残っていないのです。

 

 が――

 静脈には残っています――けっこう多く残っていて、固まった血液で静脈は塞がれているのです。

 

 よって――

 太古の医師・医学者らが「血液は静脈のみを流れる」と考えたのは、無理のないことでした。

 

 ところが――

 

 ガレノスは、自ら動物実験を行い、動脈にも血液が流れていることを知っていました。

 

 つまり――

 ガレノスは深刻な矛盾に突き当たっていたのです。

 

 この矛盾を打ち消すために――

 ガレノスは、次のように主張をします。

 

 ――心臓では、大静脈に繋がっている部分の一部(右心室)と大動脈に繋がっている部分の一部(左心室)とが小さな孔で通じ合っている。その孔から滲み出ることで、血液は大静脈から大動脈へ漏れ出る。ただし、その孔は非常に小さいために、人の目にはみえない。

 

 血液循環の事実を知っている僕らからすると――

 実に、まどろっこしく、危うげな観方なのですが――

 

 ガレノスの立場では――

 他に考えようはなかったでしょう。