マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

精神医学では生理学と解剖学とが混然一体となっている

 ――医学の領域では、「機能 + 形態 = 構造」や「構造 ≠ 形態」の図式への留意が大切である。

 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。

 

 なぜ、こんなことをわざわざ述べるかというと――

 それは、僕が、

 ――精神医学

 に興味をもっているからです。

 

 どういうことか――

 

 ……

 

 ……

 

 ――精神医学

 といいますと――

 ふつうは、精神医療の実践を下支えする学問の体系の全てを指します。

 

 例えば――

 精神の病気には、どんなものがあるのか――それら病気の原因は何なのか――それら病気で苦しむ人たちに、どんなことができるのか――

 そういったことを考えるのが、

 ――精神医学

 です。

 

 そういったことは――

 僕も日々よく考えています。

 

 が――

 僕が本当に興味をもっているのは、たぶん、

 ――精神医学

 ではないのです。

 

 ――精神医学における解剖学的領域および生理学的領域

 です。

 

 10月19日の『道草日記』で、

 ――紀元2世紀ギリシャ・ローマの医師・医学者アエリウス・ガレノス(Aelius Galenus)の頃は、まだ生理学と解剖学とが混然一体となっていた。

 ということを述べました。

 

 実は、

 ――精神医学

 という学問領域では――

 21世紀序盤の現代においても――

 まだ生理学と解剖学とが混然一体となっている、と――

 僕は考えています。

 

 そもそも、

 ――精神

 とは、

 ――機能

 です。

 

 では――

 その“機能”に対応をする形態は何かと問われると――

 よくわかりません。

 

 たぶん、

 ――神経系の形態

 なのですが――

 その“形態”が、どこまで明らかにされているのか、というと、

 (厳密には、ほとんど明らかにされていない)

 と答えるしかないのですね。

 

 もちろん――

 ガレノスの頃と違って――

 僕らは、ある程度は自由に解剖を行うことが可能です。

 

 神経系の解剖も、当然、行える――

 

 よって、“神経系の形態”は、ある程度は明らかにされています。

 

 が――

 血管系と違って――

 神経系の形態は、微細で複雑です。

 

 血管は、

 ――要するに、細胞が集まって、ただの管を成している。

 と考えて差し支えないのですが――

 神経は、そうはいきません。

 

 神経は、一つひとつの細胞が、おそらくは信号を伝える媒体として独立に存在をしています。

 

 よって、“神経系の形態”を明らかにするには――

 神経系を成す一つひとつの神経細胞の形態を残らず明らかにする必要があります。

 

 が――

 ヒトの場合――

 神経系の一部である脳だけに絞っても 1,000 億個くらいの数の神経細胞から成っています。

 

 そして――

 それら神経細胞の一つひとつが、少なくとも 1,000 個くらいの別の神経細胞と各々に繋がっているらしい――

 

 これら繋がりの一つひとつを残らず明らかにすることによって、“神経系の形態”が明らかになるのです。

 

 この作業が、いかに大変か――

 すぐに、おわかりでしょう。

 

 もちろん、

 ――神経系の形態

 に対応をする、

 ――神経系の機能

 が、

 ――精神

 である――

 と考えることはできます。

 

 が、

 ――神経系の形態

 が厳密には明らかにされていないのですから、

 ――神経系の機能

 も厳密には明らかにされていない、と――

 考えるしかありません。

 

 そもそも、

  神経系の機能 = 精神

 の図式が正しいかどうかも、わからない――

 

 このような状況にありますから、

 ――精神医学の領域では、まだ生理学と解剖学とが混然一体となっている。

 といっても、とくに差し支えはないのです。