――構造
は、
――機能
と、
――形態
とを合わせた概念である、ということを――
この『道草日記』で、しばしば前提にしています。
が――
実際には、
――形態
の意味で、
――構造
が使われることもあり――
また、
――機能
の比喩として、
――構造
が使われることもあるので――
なかなかに厄介なのです。
文脈に応じ――
慎重に選り分けていく必要があります。
このことを――
僕個人は、実は、それほど気にはしていないのですが――
僕が「構造」や「機能」や「形態」について――とりわけ、「体の構造」や「体の機能」や「体の形態」について――何かを語ろうとするときには――
常に、
機能 + 形態 = 構造
の図式を念頭に置くようにしています。
とくに、
構造 ≠ 形態
の図式については――
自分でも、
(過剰か)
と懸念をするくらいに、強く意識をしていますね。
その理由は、
(人は形態から構造を安易に思い浮かべてしまうから――)
です。
とくに医学の領域でいえば、
――動脈系の抹消と静脈系の抹消とが毛細血管で繋がっている。
という事実に長らく気づかれずに――
肉眼で確認ができる範囲の形態から、
――動脈系と静脈系とは、ほぼ隔絶をされている。
との人体構造観が作られてしまいました。
この“誤った人体構造観”は――
17世紀序盤に活動をしたイギリスの医師・生理学者ウィリアム・ハーヴィー(William Harvey)が「血液循環」説を唱えるまで――
医学の領域を支配しました。
無理もないことです。
今日の「顕微鏡」という観察道具を見たことも触ったことも覗いたこともなかった医師・医学者にとって――
毛細血管の存在を思い浮かべることは、ほぼ不可能であったに違いありません。
が――
もし、彼らに、
機能 + 形態 = 構造
の図式や、
構造 ≠ 形態
の図式への十分な留意があれば、
――動脈系と静脈系とは、ほぼ隔絶をされている。
との“誤った人体構造観”に、少なくとも留保をつけることはできました。
そして――
その留保をきちんとつけることができていたならば――
ひょっとすると、ハーヴィーよりも数百年くらい前の医師・医学者が「血液循環」説に辿りついていたかもしれない――
機能 + 形態 = 構造
や、
構造 ≠ 形態
への留意の欠如は、医学の進展を、少なくとも数百年くらいは遅らせたのではないか、と――
僕は考えています。