マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

「大脳生理学」を思い出す

 ――物理は、ヒトの脳の生理の一要素に過ぎないかもしれない。

 ということを――

 きのうの『道草日記』で述べました。

 

 こういう極端なことを述べると――

 思い出す言葉があります。

 

 ――大脳生理学

 という日本語です。

 

 ――大脳

 は、

 ――脳

 の一部です。

 ふつうは、

 ――ヒトの脳の大脳

 を指します。

 ヒトが人らしく生きられるのは、主に、この大脳の働きに依っていると考えられています。

 

 ……

 

 ……

 

 父が解剖学者であったことは――

 この『道草日記』で何回か触れました。

 

 父の専門は

 ――脳解剖学

 でした。

 

 よって、“お隣さん”は、

 ――脳生理学

 でした。

 

 その影響で――

 僕は、子どもの頃に、よく、

 ――大脳生理学

 という言葉を耳にしたのです。

 

 が――

 この「大脳生理学」――

 英語では、相当する言葉が見当たらないのですね。

 

 「大脳」は、英語では、

 ――Cerebrum

 といいます。

 その形容詞は、

 ――Cerebral

 です。

 

 よって、「大脳生理学」は、

 ――Cerebral physiology

 となるはずですが――

 

 少なくとも、英語圏では、一般的な表記ではありません。

 

 代わりに用いられるのが、

 ――Neurophysiology

 です。

 日本語に訳せば、

 ――神経生理学

 ですね。

 

 実は、

 ――Brain physiology(脳生理学)

 という言葉でさえ、英語圏では、一般的ではありません。

 代わりに用いられるのが、

 ――Neurophysiology(神経生理学)

 なのです。

 

 これは、いったい、どうしたことなのか――

 

 ――物理は、ヒトの脳の生理の一要素に過ぎないかもしれない。

 というのに……!

 

 ……

 

 ……

 

 この話題について――

 英語圏に生まれ育った人たちと真剣に議論をしたことはありません。

 

 が――

 おそらくは、こうです。

 

 ――大脳についてはもちろんのこと、脳についてさえも、その生理をきちんと論じられるほどに十分な知見は、まだ集まっていない。

 

 つまり、

 ――現代自然科学ないし現代医学は、大脳生理学はむろん脳生理学でさえ、まだ始められる状況にはない。

 ということです。

 

 日本語圏に生まれ育った者からすると、

 (夢のない話だな)

 とは思いますが――

 

 事実に基づき、論理を広げるならば――

 たしかに、その通りです。