――生理学は本当に自然科学である。
というときに、生理学が医学の一分野であることを忘れないほうがよい、ということを――
きのうの『道草日記』で述べました。
つまり、今日の生理学は明らかに自然科学の一分野であるけれども、かつては、そうではなかった――生理学の系譜は自然科学とは独立に始まっている――ということです。
その上で、
――生理学は自然科学の女王である。
といういい方の妥当性を検討しましょう。
生理学の出自が医学にあることを重視するならば――
生理学と自然科学との関連に言及する前に、生理学と医学との関連に言及するのがよいでしょう。
例えば、
――生理学は医学の王――もしくは、女王――である。
といえるかどうか――
つまり――
生理学を女性に喩えるか、男性に喩えるかは別にして――
医学における生理学の立場は、自然科学における物理学の立場に等しいといえるかどうか――
ということです。
……
……
(いえるかもしれない)
というのが――
今の僕の答えです。
中世以前の医学は、人の体の形態や人の病気の症候から、生理に迫ろうとしていました。
その理由は、おそらく、生理がわかれば、病気のことが演繹的によくわかり、かつ、その治療や予防を確実に遂行できるようになると、考えられたからです。
その考えは十分に合理的であったのですが――
残念ながら、生理は簡単に迫れる研究対象ではありません。
――四体液説
という学説がありました。
古代ギリシャ・ローマで伝統的に信じられていた学説です。
すなわち、
――人の体は、血液・粘液・胆汁・黒胆汁の4つの液体らしきものから成り、基本的には、これら4つの平衡の具合が人の健康や性格を決定している。
という考えです。
今日の生理学の知見とは全く相容れない学説であり、蒙昧な学説といってよいのですが――
このような学説に象徴されるような混迷が避けられなかったくらいに、当時、生理は深遠な謎でした。
その謎を追究する学問は、ある意味、形而上的な意味合いをもっていたはずです。
つまり、
――生理がわかれば、病気の治療や予防がわかる。
という発想のもとに、生理学は産声をあげた、という点に着目をすれば、
――生理学は医学の王――ないしは、女王――である。
とはいえるかもしれないのですが――
その“王”や“女王”は多分に“呪術的な権威”に基づいていたと考えられるために、
――生理学は医学の王――ないしは、女王――といえるかもしれないが、少なくとも、その黎明期には原始的な王権――例えば、政教分離が十分でない王権――に依っていた。
というのが適切でしょう。