――生理学は医学の王――ないしは、女王――といえるかもしれないが、その王権は、少なくとも黎明期には、政教分離が不十分な原始的な権威に依っていた。
と考えられることを――
きのうの『道草日記』で述べました。
生理学が今日的な意味で認識され始めていくのは、16世紀のヨーロッパです。
以後、生理学は、実験や観察に基づき、仮説を検証していく、という自然科学的な手法が主流となっていきます。
この過程で、
――生理は、生命現象に見出せる物理である。
との考えが生まれ、やがて、
――生理学は本質的には物理学と同一の学問である。
という認識が確立されていったと考えられます。
この過程を、
――生理学による物理学への嫁入り
と捉えるならば、
――生理学は自然科学の女王である。
といういい方にも妥当性を見出せるかもしれません。
つまり――
生理学は、旧来の医学という文化圏の盟主の家から、新興の自然科学という文化圏の盟主の家に嫁入りをしたとみなすのです。
――嫁入りをしたのだから、生理学は、男性ではなく、女性に喩えるのが妥当であろう。
と考える、ということです。
――生理学は自然科学の女王である。
というときの「女王」は、英語でいうと、
――Queen
です。
「Queen」には、
――王国の女性支配者
という意味のほかに、
――王妃
という意味もあります。
もちろん、その「嫁入り」は、実は、
――婿入り
かもしれないのですが、
――物理学と生理学とが結婚をした。
という解釈を前提に、
――どちらが夫で、どちらが妻か。
を問われれば、たぶん、多くの人が、
――物理学が夫であり、生理学が妻である。
と答えるでしょう。
少なくとも、
――物理学は自然科学の王である。
ということを前提にするならば、
――生理学は自然科学の女王である。
ということが必要となります。