マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

物理学が主、生理学が従――か

 ――生理学による物理学への嫁入り(あるいは、婿入り)

 というと――

 何となく、

 ――物理学が主、生理学が従――

 という印象を与えるかもしれません。

 

 実際には、

 ――生理学による物理学への嫁入り

 といういい方に触れる前から――

 そのような印象を持っている人が圧倒的に多いでしょう。

 

 ――生理は生命現象に見出す物理である。

 といういい方からも、

 ――生理は物理の一要素に過ぎない。

 という思想が強く窺えます。

 

 が――

 ひょっとすると、話は逆かもしれないのです。

 

 どういうことか――

 

 物理を理解しているのは――

 ヒトの脳です。

 

 物理は全てヒトの脳の働きの結果として見出され、確かめられてきました。

 例えば、1月8日の『道草日記』で、

 ――「時間」の概念は心が作り出した。

 といった主旨のことを述べました。

 ――時間

 は物理を記述する上で欠くことのできない変数です。

 そして、

 ――心

 とは、

 ――ヒトの脳の働き

 に他なりません。

 まさに、

 ――物理の記述に必須の変数はヒトの脳が作り出している。

 ということなのです。

 

 このような意味で、

 ――物理はヒトの脳が作り出している。

 といえます。

 

 よって、

 ――生理は物理の一要素に過ぎない。

 というのではなく、

 ――物理は生理の一要素に過ぎない。

 というほうが、実は、よいのかもしれないのです。

 

 その場合の「生理」とは――

 もちろん、

 ――ヒトの脳の生理

 です。

 

 よって――

 正確には、

 ――物理は、ヒトの脳の生理の一要素に過ぎないかもしれない。

 となります。

 

 そうなると、

 ――物理学が主、生理学が従――

 とは、とてもいえなくなります。

 

 たいていの方々にとっては――

 受け入れがたい考えでしょう。

 

 実は、僕にとっても、そうです(笑