マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

生理学は、「観察生理学」から「実験生理学」へ――「実験生理学」から……。

 ――解剖学は、「観察生理学」から「純粋解剖学」へ

 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。

 

 ここでいう「解剖学」とは――

 古代ギリシャ・ローマの頃の解剖学であり、生理学と混然一体になっていた頃の解剖学のことです。

 

 この解剖学が“観察生理学”から“純粋解剖学”へ分化をしていった頃に――

 生理学が、実験生理学として、産声をあげます。

 

 実験生理学の誕生は、“純粋解剖学”の誕生と、ほぼ時を同じくしている――

 と考えてよいでしょう。

 

 よって――

 いわゆる生理学について、

 ――解剖学は、「観察生理学」から「純粋解剖学」へ

 に準えて述べるならば、

 ――生理学は、「観察生理学」から「実験生理学」へ

 となります。

 

 そして――

 21世紀序盤の現在――

 実験生理学は、複雑多岐に細分化をされている一方で、“純粋解剖学”は、その使命を終えているといってよいでしょう。

 

 今日、“純粋解剖学”で生計を立てている研究者は、おそらく皆無です。

 

 以上をまとめますと――

 次にようになります。

 

 ――いわゆる医学は、解剖学と生理学とが混然一体となった形で始まり、その原始医学の解剖学的な部分が、“観察生理学”から“純粋解剖学”へと分化を遂げ、その原始医学の生理学的な部分が、“観察生理学”から“実験生理学”へと分化を遂げた。そして、21世紀序盤の現在、“純粋解剖学”は使命を終えていて、“実験生理学”は複雑多岐に細分化をされている。

 

 では――

 この後、どうなるのでしょうか。

 

 ……

 

 ……

 

 僕は、

 (そのうちに実験生理学から「理論生理学」が分派をするかもしれいない)

 と考えています。

 

 かつて――

 実験物理学から理論物理学が分派をしたように――

 実験生理学も、そうなるのではないか、と――

 

 もう少し具体的にいえば――

 実験生理学で考案をされる仮説が、あまりにも高度かつ複雑化になることで――

 その仮説の考案に専従をする生理学者が現れるのではないか、と――

 

 そういう予測です。