――疫病
を、
――戦争
と喩えることについて――
4日前の『道草日記』で述べました。
この比喩は――
衝撃的ではあるので――
修辞としての意義はありそうですが――
もし――
本気で、
――疫病
を、
――戦争
と混同している人がいるとしたら――
その人は、
――疫病だけでなく、戦争への理解や想像が足らないのではないか。
と――
僕は思います。
……
……
――戦争
は、
――人と人との争い。
です。
一方――
――疫病
は、
――ヒトと病原体との出会い
です。
「出会い」というと、少し暢(のん)気にすぎますが――
医学的ないしは自然科学的に考えたら――
そうとしかいえないのです。
例えば――
昨今の新型コロナ危機についていえば――
生物種としての人が新型コロナ・ウイルスと出会い、感染という現象が起こり、その結果、大勢の人々が亡くなっているわけですが――
新型コロナ・ウイルスは、別に人と争おうとしているわけではないはずです。
そもそも――
ウイルスに人のような知性や精神が宿っていると考えること自体が不合理です。
そして――
仮に宿っていると仮定するにしても――
ウイルスが人と争うために、その個体の中に侵入し、定着し、増殖しているならば、その結果、人が感染死を起こしたら、ウイルスも死ぬか壊れるかするだけなので、元も子もありません。
つまり――
新型コロナ・ウイルスが人と争っていると考えるには無理があるのです。
よって、
――「疫病」とは「ヒトと病原体との争い」ではなく、「ヒトと病原体との出会い」にすぎない。
といえるのですが――
もちろん――
この「出会い」は、
――凄まじく不幸な出会い
です。
なぜならば――
ただ出会うだけで、双方が死んだり壊れたりする――
結局のところ、
――疫病
では、
――“凄まじく不幸な出会い”を少しでもマシな出会いに変える。
ということが求められているのです。
この点で、
――疫病
は、
――戦争
とは異なります。
――戦争
は、
――人と人との争い
です。
人が、誰かとの争いに勝つことを目的に、殺し合いをします。
よって、
――戦争
では、
――“人と人との争い”をいかに避けるか、あるいは、いかに早く終わらせるか。
ということが求められます。