いわゆる新型コロナ危機は、
――人類の歴史の本質
に関し、どのような意味をもっているのか、という問いを――
きのうの『道草日記』で発しました。
その問いの答えを一言であらわせば、
――等価性
でしょう。
新型コロナ・ウイルスは、おそらくは、条件を満たせば、誰でも感染を起こし、誰でも感染死に至りうる、ということです。
国家指導者や企業経営者であろうと、無政府主義者や車上生活者であろうと、新型コロナ・ウイルスの前では、誰もが同じ危険にさらされます――誰もが、ヒトという生物種として、原理的には全く同じ免疫系を備えているからです。
新型コロナ危機のような疫病は――
人々に、
――等価性
という名の鉄槌を下している、といえます。
以上のことを確認した上で、
――人類の歴史の本質
を考えてみましょう。
人類の歴史は、5つに区分されることが一般的です。
原始
古代
中世
近代
現代
の5つです。
日本史に限っていえば、「中世」と「近代」との間に「近世」を挟むのが一般的ですが、いわゆる世界史では、一般的ではありません。
よって、“人類の歴史の本質”を考える上では、「近世」を挟まない5つの区分を前提とします。
もちろん、人類の歴史には地域による多様性が甚だしく、全部に同じ区分をあてはめるには無理があります。
が、そのことを十分に承知の上で、話をわかりやすくするために、あえて全部に同じ区分をあてはめます。
そうすると、以下のように記せるでしょう。
原始:絶対的権威が存在しなかった時代
古代:絶対的権威が君主に集中した時代
中世:絶対的権威が諸侯に分散した時代
近代:絶対的権威が民衆に拡散し始めた時代
現代:絶対的権威が民衆に拡散している時代
ここでいう「絶対的権威」とは、いわゆる王権のことです。
古代の専制君主に認められていた権威といってもよいでしょう。
この権威の発生は、本来は不自然きわまりない事象でした。
人は、少なくとも生物種としてみれば、誰もが同じような能力をもち、同じような性質をもっている――王と民との間に小差はあるが、大差はない、ということです。
にもかかわらず、絶対的権威が発生してしまった――
それは、ヒトという1つの生物種の生態の中で発生するには――つまりは、社会の中で発生するには――あまりにも不自然な異変でした。
よって――
その異変を是正する機序が働き始めた――その機序が働く過程こそ、中世以降の歴史の本態ではないか――
そして――
その機序の歯車の一つが疫病なのではないか――
そのように、僕は考えています。