マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

PCR検査に日本国政府が制限をかけたこと

 いわゆる新型コロナ・ウイルス感染症に対し、日本国政府が採った方針は、まずまず妥当であった――

 ということを――

 3月12日の『道草日記』で述べました。

 

 中国・武漢市内での感染状況から、軽症者ないし無症状者が8~9割を占め、それら人々が普段の生活を続けることで、感染の爆発的な拡大を引き起こしている、ということを悟った上で――

 新型コロナ・ウイルス感染症が、近い将来、日本国内で蔓延することは避けられないと考え――

 それが避けられない以上――

 考えうる最悪のシナリオだけは何としても避ける――

 

 この一点に特化した対策を、日本国政府は、すでに1月下旬の段階で採りつつあったようです。

 

 その“考えうる最悪のシナリオ”というは、

 ――爆発的感染急増に伴う医療崩壊

 でした。

 3月下旬現在、イタリアやスペイン、フランス、ドイツなどで起こっている事態――あるいは、起こりかけている事態――が、そうです。

 

 この爆発的感染急増を防ぐには、何が大切か――

 

 それは、

 ――全体の8~9割を占める軽症者や無症状者が、病院や医院に殺到することなく、自宅で療養に専念すること

 である、と――

 日本国政府は考えました。

 

 この考えに基づき――

 例えば、新型コロナ・ウイルスを検出するための検査――ポリメラーゼ連鎖反応(polymerase chain reaction, PCR)検査の実施に制限をかけました。

 

 これは、

 (英断であった)

 と、僕は思います。

 

 この制限は、自分が感染しているかどうかが気になる人に検査を受けさせない、ということですから――

 一見、ムチャクチャな対応です。

 

 が――

 医学の基本に則れば、きわめて妥当な制限でした。

 

 そもそも――

 なぜウイルスの検出を試みるのか――

 

 どの種類のウイルスによる感染症かを正確に診断し、特異的な治療を素早く実行に移すためです。

 

 残念ながら――

 新型コロナ・ウイルス感染症については、2020年3月下旬の時点で、特異的な治療の方法は確立されていません。

 

 その確立に向けて、様々な予測は立てられていますが――

 いずれも自然科学的な検証は、これからです。

 

 よって――

 新型コロナ・ウイルス感染症が疑われる場合には、

 ――症状・徴候を和らげ、自然回復を待つ。

 という対症療法を素早く実行に移すだけなのです。

 

 対症療法というのは、ぜんぜん特異的な治療ではありませんので――

 ウイルスの検出に時間を費やす意味はありません――むしろ、その時間(自宅と病院・医院とを行き来する時間)がもったいない――という話になります。

 

 それで――

 日本国政府は、新型コロナ・ウイルスの検出――いわゆるPCR検査――に制限をかけたのであろうと、推測されます。

 

 こうした考え方は、

 ――医学の美しさ

 を体現している、といってよいでしょう。

 

 “医学の美しさ”とは何か――

 

 実は――

 いくつか“美しさ”があるのですが――

 

 新型コロナ・ウイルス感染症についていえば――

 それは、

 ――必要なことだけを素早く行い、余計なことには目もくれない。

 という方針です。

 

 なお――

 ここでいう「医学」とは、昔ながらの臨床医学――医療の実践の現場に具体的な方針を与える学問――のことです。

 

 基礎医学――ヒトの体の形や働き、あるいは、ヒトの病気の発生メカニズムを探る学問――のことではありません。