――人類の歴史には“権威主義から民主主義へ”の大きな流れがある。
ということを――
きのうの『道草日記』で述べました。
もちろん――
これは、あくまでも“大きな流れ”であって、“小さな流れ”をみたら、例外は幾らでもあります。
例えば――
古代社会にも、民主主義の国家がなかったわけではありません。
そのような例外がある理由は――あるいは、あった理由は――それぞれに分析できますが――
その姿勢に拘泥していると――
人類の歴史の本質に気づき損ねるでしょう。
ここでいう「人類の歴史の本質」とは――
最近の1,000~3,000年間で、社会は、どのように変わりつつあるのか――
ということです。
いうまでもなく、
――社会
とは、
――ヒトの生態
です。
よって――
社会の変化は――
大きく2つに分けて考える必要があります。
――人の変化
と、
――ヒトの変化
との2つです。
極論をすれば――
「人の変化」とは、
――文化・文明の進展
といえ――
「ヒトの変化」とは、
――生物種としての進化
といえます。
おそらく――
10~30年の尺度でみると――
人もヒトも、ほとんど変わっていません。
が――
100~300年の尺度でみると――
人は、確実に変わっていますが――
ヒトは――つまり、生物種としての人は――何も変わっていないでしょう。
一方――
10,000~30,000年の尺度でみると――
人はもちろん、ヒトも多少は変わっているでしょう。
100,000~300,000年の尺度でみると――
そもそも人とヒトとの区別が不確かになってくる――
では――
1,000~3,000年の尺度でみたら、どうなのか――
人は変わっているのか――
ヒトはどうなのか――
……
……
その問いの答えが――
先ほど述べた、
――人類の歴史の本質
の中身です。
この“本質”に、どのように迫るのか――
その格好の切り口となりうるのが、今般の新型コロナ危機ではないか、と――
僕は思っています。