いわゆる新型コロナ・ウイルス感染症のような疫病の発生は、人類の歴史において、絶対的権威の発生を是正する機序の一部ではないか――
ということを――
きのうの『道草日記』で述べました。
絶対的権威は、人類の歴史の初期――つまり、原始――には存在していませんでした。
その後、どういうわけか社会に絶対的権威が発生し、「古代」という時代が始まった――それが、やがて分散し始めて、「中世」という時代が始まり、さらに拡散し始めて、「近代」という時代が始まった――
現代は、それが拡散し続けているが、まだ十分には拡散しきっていない――そういう時代である――
ということです。
ヒトという生物種の生態――つまり、社会――において、絶対的権威は、頻繁には発生しえない異形であったと考えられます。
なぜならば――
そのような絶対的権威の発生を反映しうる絶対的差異が、ヒトという生物種に見当たらないからです。
絶対的差異が存在しないのに、絶対的権威が発生してしまった――
その異変を是正する過程が、中世以降の人類の歴史である――
そのように、僕は考えています。
つまり、
――“人類の歴史の本質”は、権威の局在がなかった社会に絶対的権威が現れ、その局在が汎在へと変わっていく過程にある。
ということです。
いま――
権威の局在がなかった頃の人類を、
――原始人類
と呼び、その局在が汎在へ変わった後の人類を、
――未来人類
と呼びましょう。
過去1,000~3,000年くらいの人類の歴史は、
――絶対的権威という異形を孕んだ“原始人類”が、それを孕む前とよく似た“未来人類”へと回帰をとげる過程
といえます。
“原始人類”と“未来人類”とは、
――いかなる個体にも権威がないのに対し、あらゆる個体に権威がある。
という意味では異なりますが、
――権威の偏りがない。
という意味では同じです――両者は、よく似ているのです。
ヒトが生物種として確立をしたのは、30万年ほど前と考えられています。
つまり、人類の歴史の長さは30万年です。
その30万年のうちの特殊な期間を――きわめて例外的な1,000~3,000年という短期間を――
ヒトは今、過ごしているのでしょう。
“権威の偏り”がなかった生態に、なぜか“権威の偏り”が生じてしまったので、いま“権威の偏り”のない生態へ戻ろうとしている――
その駆動力の外在的な例が、
――疫病の蔓延
であり、内在的な例が、
――民主主義の洗練
である――
そのようにいえるかもしれません。