マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

新型コロナ危機に対する人類の動向の意味

 人類の社会は、ここ1,000~3,000年の間で、原始の頃に発生してしまった絶対的権威を是正し、再び“権威の偏り”のない社会へ戻ろうとしていて――

 その駆動力の外在的な例が、

 ――疫病の蔓延

 であり、内在的な例が、

 ――民主主義の洗練

 ではないか――

 ということを――

 きのうの『道草日記』で述べました。

 

 このように考えると――

 例えば、いわゆる新型コロナ・ウイルス感染症パンデミックに関して――

 なぜ、

 ――民主主義の洗練

 が顕著に認められる欧米諸国で、

 ――疫病の蔓延

 に難渋をされているのかが――

 よくわかります。

 

 “民主主義の洗練”と“疫病の蔓延”とは――

 相性が悪くないのです。

 

 ――互いに協働し合っている。

 とまではいいませんが――

 少なくとも、

 ――互いに拮抗し合ってはいない。

 とはいえます。

 

 このことから直ちにいえそうなことは、

 ――どうりで、権威主義の政府が新型コロナ・ウイルス感染症の封じ込めに、さほど苦慮していないわけだ。

 ということです。

 

 つまり、

 ――“権威主義の遺残”は“疫病の蔓延”には思いのほか効果的に対抗しうる。

 ということです。

 

 4日前の『道草日記』で――

 僕は、

 ――人類の歴史には“権威主義から民主主義へ”の大きな流れがある。

 と述べました。

 

 その、

 ――大きな流れ

 に背いている、

 ――小さな流れ

 こそが――

 今般の新型コロナ危機に対する人類の動向である――

 といえそうです。

 

 流れに齟齬があるときは、たいてい渦が生じます。

 人類の歴史の“大きな流れ”に割り込んだ「新型コロナ危機」という名の“小さな流れ”にも、たぶん何らかの“渦”が伴うでしょう。

 それが、

 ――国際紛争の激化

 なのか、

 ――文明発展の停滞

 なのか――

 あるいは、そこまで深刻ではない社会事象なのか――

 その点は、僕には、よくわかりませんが――

 おそらく、誰からも歓迎されないような社会事象であることは、残念ながら、間違いありません。

 

 ただし――

 “小さな流れ”は、いつかは“大きな流れ”に飲み込まれます。

 

 “渦”は、いつかは消え去ります。

 

 そのあとは――

 “大きな流れ”が速さを増すのかもしれません。

 

 そのことに――

 僕は希望を見出したいと思います。