マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

絶対的権威の出現は偶然でも過誤でもない

 ――“人類の歴史の本質”は、権威の局在がなかった社会に絶対的権威が現れ、その局在が汎在へと変わっていく過程にある。

 と――

 おとといの『道草日記』で述べました。

 

 すなわち――

 権威の局在がなかった頃の人類を、

 ――原始人類

 と呼び、その局在が汎在へ変わった後の人類を、

 ――未来人類

 と呼べば、

 ――“原始人類”が“未来人類”へと回帰を遂げる仮定が“人類の歴史の本質”である。

 と――

 

 ……

 

 ……

 

 では――

 

 “未来人類”は、どのような社会をなしていると考えられるでしょうか。

 

 その答えは難しくありません。

 ――地球規模の民主主義の社会

 です。

 

 地球上に住まう全ての人々が等しく有権者であるような――

 そんな社会です。

 

 そのときの地球上の人口が、100憶人なのか300憶人なのか、はたまた、30憶人なのか10憶人なのかは、わかりませんが――

 とにかく、それだけの数の人々が参加をし、4~5年に1度とか8~10年に1度とかの頻度で、選挙を行い、たった一人の国家元首を選出する――

 そして、その国家元首の選挙には、名目上は、誰でも立候補ができる――

 そういう社会です。

 

 その国家元首が握る権力は、古代の国王や皇帝が備えていた絶対的権威と基本的には同質の権威に裏付けられます。

 古代の国王や皇帝との最大の違いは、民主主義の選挙を経て地球上に住まう全ての人々の総意に基づき任命される、ということです。

 “未来人類”は、“原始人類”の孕んだ「絶対的権威」という名の異形を完全に捨て去るのではありません。

 その絶対的権威がもたらす機能を引き継ぐ一方で、それを生み出す仕組みには「民主主義」という名の工夫を施すのです。

 

 絶対的権威がもたらす機能は、人類の社会に秩序をもたらす上で、大変に有効であるのです。

 “原始人類”が絶対的権威を孕んだことは偶然でも過誤でもありませんでした。

 人類の社会に秩序をもたらす上で必要であったから、“原始人類”は絶対的権威を孕んだのです。

 

 が――

 その結果、“原始人類”は“権威の偏り”という矛盾に苦しむことになるのです。

 

 この矛盾を解きほぐす過程が、

 ――人類の歴史の本質

 ということです。