マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

疫病では恨み、憎む相手を見出せないはず

 ――疫病は戦争とは違う。

 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。

 ――戦争

 は、

 ――人と人との争い

 であるが、

 ――疫病

 は、

 ――人と病原体との出会い

 にすぎない、と――

 

 ……

 

 ……

 

 もう少し卑近にいえば――

 

 疫病は――

 戦争と違い、

 ――怒りのやり場がない。

 といえます。

 

 人は――

 戦争に巻き込まれたら――

 その戦争を仕かけた者を――例えば、国家の指導者であったり武装勢力の首魁であったりを――激しく憎み、深く恨むようになります。

 

 が――

 疫病に巻き込まれる場合には――

 そのように憎んだり、恨んだりする相手がみつかりません。

 

 強いていえば――

 病原体を――例えば、新型コロナ・ウイルスを――恨んだり、憎んだりすることになるのでしょうが――

 人と違い、病原体には知性も精神もないと考えられますから――

 その恨みや憎しみは、どこか空回りをすることになります。

 

 ……

 

 ……

 

 恨みや憎しみは――

 事態をいたずらに悲惨とします。

 

 誰かを激しく恨み、深く憎むことで――

 あるいは――

 自分に身近な人たちが誰かを激しく恨み、深く憎むのを目の当たりにすることで――

 人は、自分の心を余計に疲れさせ、荒ませ、弱らせて――

 その分、確実に生きにくくなります。

 

 それが、

 ――戦争

 の最も厄介な部分です。

 

 が、

 ――疫病

 には、それがない――

 

 少なくとも、事態を冷静にとらえるならば――

 そのように恨み、憎む相手は見出せないはずである――

 

 ――疫病では怒りのやり場がない。

 というのは――

 そういう意味です。

 

 そして――

 この点こそが、

 ――疫病

 と、

 ――戦争

 との最も際立った違いです。