マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

歴史は主観の鬩ぎ合い――

 ――歴史は主観の鬩(せめ)ぎ合い――

 と、20代の頃、書いた―― 30 年近く前のことである。

 

 ――鬩ぎ合い

 とは、

 ――互いに争うこと

 くらいの意だ。

 

 例えば――

 農耕民族と遊牧民族とが互いの主観を押し付け合う――

 その“押し付け合い”の結果が、記録や記憶として残され、歴史の基調を決める――

 

 ……

 

 ……

 

 しばしば、

 ――歴史は勝者が決める。

 などという。

 

 ここでいう「勝者」とは、

 ――権力闘争に勝ちえた者

 あるいは、

 ――殺し合いに生き残った者

 を指す。

 

 概ね正しい。

 

 が――

 勝者の主観が絶対化をされ、完全な形で保存をされるわけではない。

 

 敗者の主観で相対化をされ、いくらかの棄損を受けた形で保存をされる。

 

 その棄損の程度を決めるのが、

 ――鬩ぎ合い

 といってよい。

 

 ……

 

 ……

 

 20代の頃は――

 そこまで具体的には、わかっていなかった。

 

 もっと、

 ――ふわっ

 とした感覚で、

 ――鬩ぎ合い

 と書いていた。

 

 ……

 

 ……

 

 農耕民族と遊牧民族との“鬩ぎ合い”でいえば――

 

 13世紀に、モンゴルがユーラシア大草原を統べた頃は――

 遊牧民たちの主観が歴史の基調となりかけた。

 

 が――

 14世紀に、その“草原の帝国”が中国大陸での版図を失った頃――

 農耕民たちの主観が巻き返しを始める。

 

 21世紀初頭の現在――

 歴史の基調は、明らかに農耕民たちの主観で定められている。

 

 が――

 農耕民たちの主観が完全な形で保存をされているわけではない。

 

 いくらかの棄損を受けた形で保存をされている。

 

 その棄損の程度を決めているのが――

 農耕民族と遊牧民族との主観との鬩ぎ合いである。

 

 この“鬩ぎ合い”は――

 キンメリア人が人類最古の遊牧民族として登場をし、農耕民たちによって記録をされ始めた紀元前9世紀に始まり――

 その後、21世紀初頭の現代に至るまで、延々と続いている。

 

 ――延々と続いている。

 と表すと――

 何だか不毛なようだが――

 

 そんなことはない。

 

 それでよい。

 

 歴史とは、そういうものである。

 

 『随に――』