マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

匈奴(6)

 モンゴル高原匈奴を興した遊牧民たちにとっては、中国大陸よりもロシア平原のほうが、心理的に遥かに近くに感じられた――

 と考えられる。

 

 匈奴が人類史に登場をするのは、紀元前4世紀頃――

 

 それから時代を 500 年ほど遡った紀元前9世紀頃――

 人類史上、最古の遊牧民族が出現をした。

 

 日本語で、

 ――キンメリア人

 と呼ばれている。

 

 その出現の地が、

 ――ロシア平原

 であった。

 

 より正確には、

 ――今日のウクライナの南部――黒海北岸

 である。

 

 その後、紀元前7世紀~前3世紀において――

 ロシア平原の主(あるじ)は、他の遊牧民族に代わった。

 

 日本語で、

 ――スキタイ人

 と呼ばれている。

 

 このスキタイ人の文化に――

 匈奴の文化は、よく似ているという。

 

 つまり――

 スキタイ人匈奴とは――

 紀元前4世紀~前3世紀において――

 ユーラシア大平原の西部と東部とで共存をしていた。

 

 年代をみれば――

 人類史上、スキタイ人のほうが先達である。

 

 よって――

 普通に考えれば、スキタイ人の文化が東方へ伝わり、匈奴の文化となった。

 

 が――

 異説を唱える学者もあるらしい。

 

 太古の昔――紀元前7世紀よりも遥かな昔――

 ユーラシア大草原の中部の辺りに――今日のシベリアの辺りに――実は未知の遊牧民族の国家が興っていて――

 その遊牧民たちの末裔がスキタイ人であり、匈奴である――

 という説である。

 

 何とも夢のある説である。

 

 それは、ともかくとして――

 

 紀元前のユーラシア大草原の文化は――

 その東部と西部とで驚くほど均質であった可能性がある――

 ということである。

 

 『随に――』