匈奴の君主・冒頓(ぼくとつ)が、漢の初代皇帝・劉邦(りゅうほう)を、その命を奪う寸前まで追いつめて以降、70 年ほどが過ぎると――
形勢は逆転を始める。
匈奴は漢に対し、徐々に劣勢に転じていった。
劉邦の子や孫に当たる皇帝たちは、匈奴に対し、父や祖父に倣って平身低頭の外交に徹したが――
曾孫の皇帝・劉徹(りゅうてつ)――武帝(ぶてい)――は、違った。
おそらくは、
――曾祖父の恥を雪がん。
との思いが強かった。
当時の官軍が有能な将軍たちに恵まれたこともあって――
漢の軍は匈奴の軍を討ち破り、その版図を奪っていった。
漢の軍は、かつて初代皇帝の命が脅かされたくらいに苦戦をしたのに――
なぜ、この時は討ち破ることができたのか。
……
……
有能な将軍たちの采配力だけではなくて――
漢の国力の増勢と兵器の改良とが主因であったと考えられる。
劉邦の子や孫が平身低頭の外交に徹しているうちに――
漢の産業が活性化をし、軍備が増強をされた。
例えば――
鏃(やじり)が青銅製から鉄製に変わった。
匈奴は遊牧の社会である。
草原で従来の暮らしに満足をしている限り、産業や軍備の技術革新には乗り遅れる。
漢を脅かした匈奴は、草原で安住をしていた。
そして――
少しずつ衰退を始める。
紀元1世紀――
北匈奴は、紀元1世紀のうちに、モンゴル高原を去って人類史から消え――
南匈奴は、紀元3世紀に、中国大陸の皇朝の一つに吸収・合併をされた。
遊牧民の国家の崩壊の多くが、そうであるように――
匈奴の崩壊は、呆気なかった。
『随に――』