マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

匈奴(8)

 紀元1世紀、匈奴北匈奴南匈奴とに分裂をし――

 北匈奴の方は、その世紀のうちに、モンゴル高原を去って人類史から消えた。

 

 その後――

 北匈奴遊牧民たちは、どこへ行ったのか。

 

 ……

 

 ……

 

 紀元4世紀――

 ロシア平原の一部――黒海北岸――に忽然と姿を現した遊牧民たちがある。

 

 日本語で、

 ――フン族

 と呼ばれている。

 

 短期間のうちに、ロシア平原やハンガリー平原などを版図に組み込むなどして、ユーラシア大草原の西部に帝国を築いた。

 

 このフン族の出現によって――

 いわゆる、

 ――ゲルマン民族の大移動

 が起き――

 この“大移動”が西ローマ帝国の瓦解を導いた――

 とは、よくいわれる言説である。

 

 ――ゲルマン民族

 とは、ごく簡単にいってしまえば、現在の欧米人の祖に当たる。

 この時、東ヨーロッパに定住をし、農耕や牧畜を生業としていたらしい。

 

 ――西ローマ帝国

 とは、紀元前1世紀に成立をみたローマ帝国が、紀元4世紀末、東西に分裂をした――それら2か国のうちの1か国である。

 

 フン族の出現はヨーロッパに激動をもたらした。

 

 ゲルマン民族の多くは、フン族によって征服をされ――

 西南へ逃げ延びたゲルマン民族が、西ローマ帝国を圧し、滅ぼした。

 

 その起点となったフン族こそ――

 北匈奴の後裔と信じられている。

 

 直系の子孫であるかは、ともかくとして――

 その生活様式や風習、遺物、使用言語などの比較から、共通の文化圏に属していたことには、

 ――ほとんど疑いの余地はない。

 という。

 

 少なくも子孫の系統の分派の1つではあったろう。

 

 かつてユーラシア大草原の東部に一大帝国を築き上げた匈奴遊牧民たちは――

 いったん人類史の“舞台袖”に退いた後――

 300 年ほどの歳月を経て――

 今度はユーラシア大草原の西部に一大帝国を築き上げ――

 再び人類史の表舞台に躍り出た。

 

 『随に――』