マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

匈奴(9)

 紀元4世紀にユーラシア大草原の西部で覇権を握ったフン族が、紀元前3世紀から紀元1世紀にかけてユーラシア大草原の東部で覇権を握っていた匈奴の直系の子孫であったらしいことの真偽は、ともかくとして――

 匈奴の出現を機に、遊牧民たちが農耕民たちへ、侵略の意図を明確に示すようになった事実は、疑いようがない。

 

 もちろん――

 その「侵略」とは、あくまでも農耕民たちにとっての侵略であって――

 遊牧民たちからすれば、侵略への防衛に過ぎぬ。

 

 遊牧民たちにとっては――

 先に侵略をしてきたのは、農耕民たちの方であった。

 

 遊牧民族は新興と考えられがちである。

 

 人類史が語る最古の遊牧民族はキンメリア人であり――

 この民族の登場は、紀元前9世紀である。

 

 農耕民族の登場は――

 その 1 万~ 3 万年前と考えられている。

 

 紀元前9世紀頃の農耕民たちにとっても、その子孫たちにとっても――

 遊牧民族は新興の勢力であった。

 

 その異形の民族が、紀元前3世紀から紀元4世紀にかけ、匈奴フン族の姿で現れ、自分たちに危害を加え始めた――

 そういう物語が、農耕民たちの立場では、受け入れやすい。

 

 が――

 実態は、どうか。

 

 ……

 

 ……

 

 実は――

 紀元前9世紀にキンメリア人が人類史に登場をする遥か前から――

 遊牧民たちはユーラシア大草原を自由に行き来していたのではあるまいか。

 

 遊牧民たちの活動の履歴は、実は農耕民たちと同程度に古い時期に、始まっていたのではないか。

 

 遊牧民たちは自分たちの活動の履歴を歴史としては残さなかった。

 

 農耕民たちは残した。

 

 その差異こそが、

 ――遊牧民族は新興の勢力――

 の誤解を生んだのではあるまいか。

 

 ……

 

 ……

 

 もし――

 そうだとしたら――

 

 人類史を多少なりとも書き換える必要がある。

 

 少なくとも農耕民たちの史観の偏りを明らかにしておく必要がある。

 

 『随に――』