マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

匈奴(3)

 匈奴の君主・冒頓(ぼくとつ)が、漢の初代皇帝・劉邦(りゅうほう)を国境紛争の末に取り囲んだ時――

 中国大陸の運命は激しく変わろうとしていた。

 

 1,500 年後のモンゴルによる征服と同様のことが――

 この時、起こっていたかもしれぬ。

 

 ……

 

 ……

 

 実際には起こらなかった。

 

 なぜか。

 

 ……

 

 ……

 

 その経緯は――

 

 実は、どうにもわからぬ。

 

 ……

 

 ……

 

 史書が伝えるところによれば――

 

 この時、劉邦は、軍師であった陳平(ちんぺい)という者の策を採り――

 冒頓の正妻へ品を贈って夫に兵を退かせたという。

 

 にわかには信じ難い。

 

 匈奴は遊牧の社会であるから――

 遠征には家族全員が移動をする。

 

 よって――

 冒頓の正妻が戦場の近くにいたことはわかる。

 

 が――

 仮に、冒頓の正妻が完全に買収をされたとして――

 それだけで、夫が兵を退くだろうか。

 

 ……

 

 ……

 

 単に、品を贈っただけではなかった――

 と説く者もある。

 

 ――貴女の夫は、このまま漢の皇帝を殺すと、中国大陸の美女たちを欲しいままにすることでしょう。

 と、まことしやかに告げて――

 その悋気を誘ったと伝わる。

 

 もし、それで冒頓が兵を退いたとするならば――

 この匈奴の君主は、よほど定見を欠いていたことになる。

 

 そうでは、あるまい。

 

 あるいは――

 以下のように説く歴史小説家もある。

 

 ――この時、匈奴の軍は圧倒的優位だったわけではない。漢からの降将の元部下たちが匈奴に寝返って援軍となる約束であったのが、まだ到着をしていなかった。また、漢の軍の主力が追いつくと、今度は匈奴の軍が取り囲まれる可能性もあった。

 

 よって――

 冒頓は、あえて劉邦の首級を狙わなかった――

 

 ……

 

 ……

 

 真相は、わからぬ。

 

 ……

 

 ……

 

 漢の皇帝親率の騎兵を囲むこと 7 日――

 

 匈奴の軍は、あえて囲みを解き――

 冒頓は劉邦を見逃した。

 

 『随に――』