マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

ウラジーミル・スーズダリ大公国の不名誉

 ロシアと向き合う時は――

 以下の2つのことを踏まえる必要がある。

 

 ――若い歴史の国である。

 ――歪な構造の国である。

 

 もう1つ――

 踏まえておくのがよいことがある。

 

 それは、

 ――名誉挽回の国である。

 ということだ。

 

 ロシアの祖であるモスクワ公国は――

 旧ルーシの分国であったウラジーミル・スーズダリ大公国の、そのまた分国であった。

 

 ウラジーミル・スーズダリ大公国はモスクワ公国の本国筋に当たる。

 

 そのウラジーミル・スーズダリ大公国は――

 モスクワ公国が産声を上げる半世紀ほど前に、

 ――草原の帝国

 モンゴルの侵略を受けていた。

 

 その侵略をウラジーミル・スーズダリ大公国は跳ね返せず――

 戦争に敗れ、征服をされ――

 以後、

 ――タタールの軛(くびき)

 の時代が始まったのだが――

 

 問題は――

 その戦いの敗れ方であった。

 

 その帝国の軍の前に――

 ほとんど抵抗らしい抵抗ができぬままに壊滅をした。

 

 ――その帝国の軍

 とは――

 他ならぬモンゴル軍である。

 

 モンゴル軍は――

 ほぼ全てが騎兵で構成をされ――

 分散と集結とを自在に繰り返し、敵を各個撃破にしたといわれる。

 

 野戦においては無類の強さを誇った。

 

 弱点は攻城にあったが――

 

 それを補うために――

 投石器や火薬兵器などの新技術を積極的に取り入れていて――

 既に、中国大陸の金朝や中央アジアのホラズム・シャー朝などで十分な実戦経験を積んでいた。

 

 当時のウラジーミル・スーズダリ大公国は――

 金朝やホラズム・シャー朝と比べれば発展途上国といえた。

 

 モンゴル軍にとっては容易な攻城であった。

 

 時のウラジーミル・スーズダリ大公国の君主ユーリー2世は――

 おそらくはモンゴル軍の精強性や新奇性をよく知らぬままに、不用意に野戦を仕掛け、惨敗を喫した。

 

 されば、と――

 息子たちを首都ウラジーミルに籠らせ、自らは他のルーシ諸侯の兵を搔き集めるべく、奔走を試みたようだが――

 その首都はモンゴル軍の新技術によって瞬く間に攻め落とされ、息子たちを含む家族・親族は皆殺しにされた。

 

 その報せを聞き――

 ユーリー2世は愕然としたらしい。

 

 自身の居城が瞬く間に攻め落とされるとは夢想さえもしていなかったのだろう。

 

 ほぼ全てを失ったユーリー2世は――

 なけなしの兵力で再びモンゴル軍に野戦を挑み、完膚なきまでに叩きのめされ――

 自身も戦場で首を取られたという。

 

 この時の不名誉を消し去るために――

 その後のロシアの歴史があるのではないか。

 

 そうとさえ思える。

 

 『随に――』