――タタールの軛(くびき)
は、今日のロシアに暗い影を落としている。
政治史的に――というよりは、文化史的に――強いていえば、精神史的に――
である。
純粋に政治史的には――
モスクワ公国が、モスクワ大公国となり、ロシア・ツァーリ国となり、ロシア帝国への礎を築いていく過程で、
――タタールの軛
は、概して正の作用を及ぼした。
見方を変えれば――
モスクワ公国と、その後裔の国々とは――
この“草原の帝国”の支配下に入ったことを巧みに活かし、旧ルーシでの覇権を握った――
といえる。
政治の技術としては、
――見事
というしかない。
が――
その技術は、わかりにくかった。
何といっても、“草原の帝国”の支配下にあってこその覇権だった。
いわば、
――地下の覇権
である。
――地上の覇権
は、“草原の帝国”が握っていた。
この捻じれが――
文化史的に――あるいは、精神史的に――ロシアに暗い影を落としている。
それを不当とみる人たちが――
ロシアの外で、旧ルーシの内に――
いる。
ウクライナの人たちである。
――タタールの軛
が、ロシアにだけでなく、ウクライナにも、暗い影を落としていることは、想像に難くない。
が――
その“影”は、ロシアに落としている“影”とは、だいぶ性質を異にしている。
例えるならば、
――ルーシの覇権は、我々がタタールの軛で頸の後ろを押さえられている間に、モスクワの者たちによって掠め取られてしまった。
といった意味合いでの“影”である。
――ルーシ
は、
――キエフ大公国
の別名でも知られている通り――
少なくとも、その建国期においては、今のウクライナに政権の基盤があった。
――キエフ
は、ウクライナの首都キーウのロシア語風の音である。
要するに――
ルーシの覇権は、キーウからモスクワへ――いいかえるなら、ウクライナからロシアへ――移ろっていった。
この移ろいが、
――タタールの軛
の下で完了をしたことこそ――
両者にとって、最大の不幸ではなかったか。
この権力の移管が――
もし、
――タタールの軛
のない時代に完了をしていたならば――
旧ルーシの近現代史は、だいぶ変わっていたはずである。
『随に――』