マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

亡国ルーシの残像

 ――モスクワ公国

 の発足は、13世紀の後半と考えられる。

 

 当初は、

 ――ウラジーミル・スーズダリ大公国

 と呼ばれる旧ルーシの分国の、

 ――そのまた分国――

 だった。

 

 このモスクワ公国が――

 14世紀初頭、にわかに版図を広げ、

 ――モスクワ大公国

 と名を変える。

 

 やがて――

 モスクワ大公国の君主は、本国筋であるウラジーミル・スーズダリ大公国の君主を兼ねるようになった。

 

 15世紀後半には、ジョチ家の末裔との戦いに勝利を収めて――

 念願の、

 ――タタールの軛(くびき)

 からの離脱を果たす。

 

 16世紀半ばには――

 君主の称号として、「大公」の代わりに、「王」や「皇帝」の意味である、

 ――ツァーリ

 を用い始める。

 

 これを踏まえ――

 モスクワ大公国は、

 ――ロシア・ツァーリ国

 と称するようになった。

 

 このロシア・ツァーリ国が、後のロシア帝国の前身となる。

 

 そして――

 そのロシア帝国が、1917年の市民革命で瓦解をし、ソビエト連邦が発足をして――

 そのソビエト連邦に、現在のロシアが取って代わった。

 

 つまり――

 現在のロシアは、モスクワ公国の後裔といえる。

 

 この系譜は――

 現在のロシア政府の歴史観を推し量る上では重要であろう。

 

 モスクワ公国が現在のロシアに至るまでの歴史からは、

 ――タタールの軛

 の屈辱を紛らせるために、

 ――亡国ルーシの残像

 を頼りたくなったルーシの人々の心情が――

 仄かに伝わってくる。

 

 『随に――』